你好,欢迎访问云杂志! 关于我们 企业资质 权益保障 投稿策略
咨询热线:400-838-9661
当前位置: 首页 精选范文 法律文化的特征

法律文化的特征范文

发布时间:2023-10-13 15:37:48

导语:想要提升您的写作水平,创作出令人难忘的文章?我们精心为您整理的13篇法律文化的特征范例,将为您的写作提供有力的支持和灵感!

法律文化的特征

篇1

人類の旅の始まりは、生活の食料を獲るため、また、製品の交換、集落部族間の闘争に伴う移動から始まったと言える。21世紀になると、観光を真に一般大衆のものとして先進諸国で定着し、現代観光の特徴である、一般大衆が広く観光に参加する時代、いわゆるマス·ツーリズムの時代を迎えた。本論文は日本における国内旅行と海外旅行の発展過程を遡って、各時期における旅行文化の特徴を分析したい。

一、日本における国内旅行の発展過程

(一)江戸時代の旅

中世の多くの紀行文の中でみられるように、中世の旅としては、1192年に源頼朝が幕府を開いた鎌倉と、朝廷のある京都との往来が盛んになり、人々が行き来した。

近世では、江戸時代に入ると、道路や宿場の整備、治安が向上、貨幣経済の発達、組織された「講(一定額のお金を集金して旅の費用に当てるために形成した団体旅行形式)の存在などの要因で、庶民の間にも旅が定着してきた。この時代には、信仰の旅である伊勢参りが盛んになり、江戸中期以後、伊勢講を中心とする農民、町民の参加者は、年間20万~40万人いたともいわれている。その後徐々に、庶民が日常生活から離れる格好の方便となり、伊勢参り後は近くの遊郭で遊んだり、京都観光をしたりして、旅を楽しんだようであるが、、一般大衆の国内旅行はかなり活発になっていた。また、関所、往来切手(身分証明書)の存在などの原因で、旅行は、また誰でも自由にできる行動ではなかった。

(二)明治時代の観光旅行

明治になると、関所が廃止され、誰でも自由に日本中に旅行することができるようになった。また1872(明治5)年には、新橋~横浜間に初めて鉄道が開通したことによって、移動時間を飛躍的に短縮した。旅館も鉄道の普及とともに増加し、旅の活発化するための基本条件である交通と宿泊という2つの条件が整備されていった。明治時代には、修学旅行、温泉への旅、夏季の海水浴、新婚旅行などの旅行形態や旅行志向を形成した。

明治30年代頃から、「美しい自然を見たいという“風景を求めての旅”が盛んになっって、パッケージ·ツアーの原型もこの時代に見ることができる。1905(昭和38)年、南進助が国鉄の貸切列車により、「善光寺参詣団を募集し、約900名の客を集め、成功した。これは、現在の「(株)日本旅行の前身である。JTBの前身である「ジャパン·ツーリスト·ビューローが1912(明治45)年に創立された。

(三)昭和時代の旅行

明治時代に定着した日本人の観光旅行は、質と量の両面、共に発展したが、第2次大戦の影響で停滞し、1945(昭和20)年戦争終結後、ゼロからのスタートとなった。1946(昭和21)年に修学旅行が復活した。1948(昭和23)年国鉄と旅行会社共催の臨時車が移動し、団体旅行の形で観光旅行は行われるようになった。

旅行業界では、ジャパン·ツーリスト·ビューローは、戦後(財)日本交通公社と改称。1948(昭和23)年には現在の近畿ツーリストの前身である日本ツーリスト(株)が創業。日本における近代の旅行業はまさにこの時代にスタートした。

1964(昭和39)年後、運送機関の整備が進んで、東海道全線が電化され、列車の旅はもっと快適になり、観光旅行に大きな影響を与えた。航空運送の整備も進んで、1957(昭和32)年に全日空輸(株)が発足。また、この時期には、「東急観光、「阪急国際交通社(現阪急交通社)などの旅行会社が続々と誕生した。こうした背景の下で、旅行ブームが作り出されて、団体旅行が中心であった。

昭和40年代に入ると、「イザナギ景気が到来、日本経済は高度成長が続き、1969(昭和44)年には、国民総生産は世界2位になった。この間、国民所得の向上により、人々の生活意識やライフスタイルが変化し、レジャーに対する意識や行動も大きく変化した。また、1970(昭和45)年に開催された「大阪万博は、旅行の大衆化をもたらし、従来の団体旅行を家族·小グループ旅行に分解していく契機となった。

1970(昭和45)年から行われる旅行は、従来の観光地を巡る観光行動パターンと異なり、話題のスポーツを訪れ、食事やショッピングで、旅行におしゃれやファッション感覚を持ち込んで、観光の目的も多様化、複雑化した。

1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、日本の社会、経済、観光業界に大きな打撃を与え、「安近短旅行という言葉が出現した。

一方、80年代に入ってから、多くの人々は、「物の豊かさより、「心の豊かさを重視する傾向が年々高まっている。生活の面からみると、個人·家族を大切する意識が強まり、旅行スタイルの個人·グループ·家族旅行への変化に大きな影響を及ぼした。観光旅行の目的はさらに多様化が進み、いくつかの旅行スタイルがブームになった。また、1983(昭和58)年「東京ディズニーランドの開 園により、人々のテーマパックへの旅行意欲を喚起した。

(四)平成の観光旅行

この時代、1991年に終焉を迎えた「バブル景気の崩壊は、旅行に大きな影響を与えた。日本経済は一転して不況に陥り、旅行需要も急落。デラックスな旅行は減少し、第一次オイルショックの時の「安近短ツアーが再び登場した。90年代以降の動向をみると、国内旅行は、可処分所得の減少、高齢化、少子化、年金問題により先行き不安などの原因で、平成初期から緩やかな減少傾向が続いている。

二、日本における海外旅行の展開

日本における海外旅行の発展過程は、揺籃期、中間期、成熟期という3つの段階に分けられる 。

(一)第一次海外旅行ブームを中心とした揺籃期(1964~1970年)

1956(昭和31)年の「経済白書で「もはや戦後ではないと指摘、1960(昭和35)年には、池田内閣が「所得倍増計画を発表するなど、日本国内は、好景気に沸いた。

『国民経済計算年報(内閣府経済社会総合研究所編、平成13年版)によれば、日本の一人当たりGDPは1960年の477ドルであったが、1970年に1,967ドルに達した。

1964年は、東京オリンピックの開催を機に、日本の経済は、高度急成長が始まった年であり、旅行産業にとっても、大きな変化をもたらした年であった。それは、日本における海外旅行の歴史は、海外渡航自由化元年である1964年に始まった。

1964年に、海外観光旅行自由化によって、海外旅行ブームが起きた。自由化当時の年間出国者数は12万8,000人、対前年比27.7%増加し、その後、経済発展のスピードに合わせるかのように海外旅行者数は急増し、1970年には66万3,000人に達した 。増加した海外旅行マーケットにとして、旅行業界と航空会社は、団体企画商品と一人でも行けるセット商品 (パッケージ·ツアー)を開発し、市場に投入した。スイス航空のパッケージ·ツアー「プッシュボタンをはじめ、日本航空の「ジャルパックJT Bの「ルックなど相次いで登場した。よる大量団体旅行が日本人の海外観光旅行を飛躍的に発展させる最大の要因となった。

この時期では、海外旅行は一生一度の贅沢である時代であった。旅行商品は高額で、一般国民にとっては、「高嶺の花で、手の届かない夢であった。旅行者は、熟年層が中心であった。旅行形態は、周遊型(Seeing型)、団体旅行が中心となっている。

(二)第二次海外旅行ブームを中心とした中間期(1970~1985年)

1969年、ジャンボジェット機が就航開始したことにより、航空座席の供給量は急速に増大し、バルクIT運賃 (団体旅行専用の航空運賃体系)ができ、「大量高速輸送時代が実現した。パッケージ·ツアーの価格は大幅に値を下げた。また、1972年には、外貨の海外持ち出しの年1回500ドルという制限が撤廃され、誰でも行ける海外旅行時代が到来し、海外旅行の発展に拍車をかけ、いわゆる第2次海外旅行ブームを招来した。1970年から1973年までの海外旅行伸び率は、30%~60%にも達した。

その後、1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、長い高度成長期に酔っていた日本の社会、経済に大きな打撃を与え、海外旅行にも水をさし、これまで順調に伸びてきた旅行消費が低迷した。この時期の人々の旅行志向が、「安·近·短となった。多くの旅行会社は、団体旅行の販売ではなく、新しい販路拡大の方向性を検討し始めた。その結果、特定団体用の低価格旅行商品は、一般消費者という不特定多数マーケットへシフトし、一般市場に流入した。大手会社は、低価格のパッケージ·ツアーを開発し、JIB「パレット、近畿ツーリスト「マイツアーなどのブランド商品は次々に登場した。これは、海外旅行の大衆化の原動力となった。

(三)第三次海外旅行ブームを中心とした成熟期(1986~2013年現在)

80年代前半、伸び悩んでいた旅行市場は、1985年9月のプラザ合意により、円高、バブルの傾向が始まり、海外旅行者数は急増し、1986年に500万人に突破した。1987年、旧運輸省は、日本の国際収支の大幅黒字を、海外支出の増加により、改善すること、国際交流の推進により、日本人の国際的なセンスを磨くことを目的として、「テンミリオン計画(海外旅行倍増計画)を提唱した。1987年に運輸省が「海外旅行倍増計画を打ち出し、1990年に、当初の目標達成より一年早く1,000万人に達した。

90年代に入ると、日本における海外旅行の成熟化、リピーターの増加につれて、日本人の旅行に対する意識も変化しつつあり、旅行の需要と旅行者の行動も変化した。周遊·見物を中心とする“従来型観光”とは異なった交流·対話·体験·発見·共感などを目的とする“新しい観光形態”へ転換した 。旅行形態は、従来の名所、旧跡を巡る周遊型の観光パターンからレジャー、スポーツ、レクリエーション型の観光(Doing型)に移行し、旅行スタイルは、従来の団体から個人·グループ·家族旅行への移行傾向になった。

三、今後の展望

21世紀に入ると、日本における海外旅行は、さらに特に単一目的地(リゾートなど)で滞在型 旅行(Being型)が好まれるようになる。また、旅行者の経験、インターネットの普及により、旅行者は多くの情報源から旅行に関する情報を入手でき、「ツアー離れ、「個人旅行志向を加速させることとなった。

参考文献

[1] 佐藤喜子光.観光を支える旅行ビジネス[M].東京:同友館,2002.

[2] 太田久雄.売れる旅行商品の作り方[M].東京:同友館,2003.

[3] 杜江,戴斌.中国出境旅游发展年度报告[M].旅游教育出版社,2006.

篇2

中图分类号:F592 文献标志码:A 文章编号:1674-9324(2013)36-0121-02

文化旅游泛指以鉴赏异地异国传统文化、追寻文化名人遗迹或参加当地举办的各种文化活动为目的的旅游活动。它涵盖范围广泛,包括与历史遗迹、建筑、民族艺术、宗教等有关的旅游活动。文化旅游产业关联性高、涉及面广、辐射性强、带动性强,作为一种新兴产业,在新世纪的经济社会发展中具有很强的活力。

一、文化旅游产业的特征

根据我国文化旅游产业发展的实践,可以归纳其基本特征如下:

1.超综合性。旅游产业本身的综合性就极强,而文化旅游产业又将文化这一因素置于旅游产业的链条上,使其综合性更为明显。比如,从产业关联的角度看,文化旅游产业可以说是“无所不包”,它集文化产业、旅游产业、休闲娱乐产业、艺术产业等为一体,产业体系庞大,产业边界模糊。

2.延展性。延展性指的是以一项文化旅游产品为核心,可以衍生出一系列的其他产品。它主要表现在两个方面:其一,一般来说,文化旅游产业的文化含量较高,通过一些深度的开发与创新,可以挖掘和衍生出一系列的新产品,从而带动文化旅游相关产业的发展;其二,旅游产品还具有一定的内涵方面的延展功能。最典型的例子就是,在讲解中,导游可以适当地引入一些诗词歌赋、精彩的传说、故事、典故,从而有效提升游览的层次,增加旅游产业的附加值。

3.载体性。文化旅游产业的发展并不是孤立的,而是必须以一定的历史文化景点、文化艺术场所等为基础和载体。一般来说,这些历史文化景点、文化艺术场所的品质高低与文化旅游产业的发展程度密切相关。而现阶段随着旅游文化产业的发展,其载体扮演着越来越重要的作用。在这个意义上,文化旅游产业的载体是文化旅游产业链以及文化产业发展的关键环节和因素。

4.体验性。与传统的旅游方式强调“静态观赏”不同,现代文化旅游倡导“文化体验与文化参与”。无论是从当代人对文化旅游体验与参与的要求,还是以中青年人群和老年人群为主的文化旅游市场主体,都在不同程度上从主观与客观两个角度要求文化旅游更具体验性,这也将成为文化旅游的本质要求以及未来发展的一大趋势。

5.创意性。文化旅游在很大程度上不仅是与历史古迹相联系着的,更多时候也要通过文化创意的实现来达到吸引人的目的。举办各种大型的选秀活动、博览会等也能够带来巨大的产业联动效应,促进文化旅游产业的发展。比如,在旅游资源相对匮乏的迪拜和阿布扎比,就通过一些全新的理念设计出了超豪华的购物中心、七星级的金帆船酒店,还有豪华的文化广场,豪华的清真寺等创意产品,吸引了世界各地的旅客。

6.精品性。从历史发展的角度来看,文化旅游产品是人类历史的结晶,是在人类历史发展中积淀下来的精神与物质行为的精品,具有很高的品位,对其进行深入的挖掘与传扬,大量吸收前人遗留下来的优秀文明成果,做到为现代所用,是一件很有意义的事情,必须通过各种各样的方式将这种优秀文化继承和发扬下去。

7.民族性和国际性。民族的就是世界的。文化旅游的景点一方面是民族的,是一个民族优秀文化的代表,另一方面也是世界的,具有国际性。每个民族的文化都具有独特性和不可替代性,而当所有的民族文化汇聚到一起,就具有了国际性。可以说,文化旅游产业所反映的文化内涵是民族性和国际性的统一。

二、文化旅游产业的作用

1.有利于促进我国旅游产业新格局的形成。随着人们物质文化生活水平的提高,对旅游产业提出了更多更高的要求。在这种背景下,旅游产业的发展进入新的调整和提升阶段势在必行。可以说,旅游产业和文化产业的结合暂时解决了现阶段单独的旅游产业发展面临的问题,它为旅游产业的发展注入了新鲜的血液,增强了其发展的活力。总之,文化旅游产业的发展将会有利于促进旅游产业新格局的形成,使其结构得到优化与整合。

2.发展方式的转变,同时也可以通过旅游业来为文化产业的发展提供载体,从而使旅游从单一的游览观光型向文化体验型转变,实现旅游产业由量到质的转变,推动旅游经济的全面发展。

3.有利于旅游产业功能的完善。传统的旅游产业过分强调其经济方面的功能,而对其他功能视而不见,而现代旅游业功能更加多元,比如可以解决劳动者的就业问题,可以带动经济的发展,可以促进人们身心的健康、知识的增加、境界的提升等等。文化旅游产业的发展使得公益目的、教育目的、文化传播目的更加凸显。

4.有利于提升我国旅游产业的综合实力与国际竞争力。在当今世界,国家与国家之间的竞争越来越体现在知识和文化的竞争上。文化旅游产业是知识和文化产业的一个重要组成部分。发展文化旅游产业,扩大旅游中的文化含量,使旅游业更好的承载文化,积极打造属于本国的有特色的文化产品与品牌,增强本国文化旅游产业的国际竞争力,并以此树立本国良好的国际形象。

三、文化旅游产业的发展对策

1.加强文化创意。文化创意要求我们在尊重历史的基础上,对原始文物遗存的内容和形式进行一番创新和再造,增加文化的附加值,特别是要积极弘扬传统文化中向上的阳光的文化层次,把它作为文化旅游产业的核心内容来抓。加强文化创意的目标不仅是要复活历史,更要推动历史的发展。

2.强化营销的文化内涵。在旅游文化的营销过程中,要特别注意其文化内涵的营销,要针对不同类型的文化采取不同的文化内涵的说明与宣传。首先可以加大立体广告的宣传力度,并增加广告的文化含量;其次,可以选择一些经济发达地区进行文化旅游的推广活动,对旅游项目的文化内涵进行一番详细而又通俗的说明。

四、结语

本文主要从文化旅游这一新型的旅游方式出发,探讨了其特征、作用以及发展对策三个方面的问题,从而对文化旅游这一概念有了更深刻的理解。文化旅游产业具有多方面的重大意义与作用,必须进行很好的引导与鼓励支持,以促进其更好更快的发展。

参考文献:

[1]邵金萍.再论文化旅游产业的特征、作用及发展对策[J].福建论坛·文社会科学版,2011,5(8):29-32.

[2]许金如.扬州文化旅游产业发展的现状及对策[J].扬州职业大学学报,2012,1(64):33-34.

[3]苏卉.文化旅游产业的融合发展及政府规制改革研究[J].资源开发与市场,2012,1(11):1044-1045.

篇3

法律英语,是以英语为基础,用以表述法律科学概念及诉讼或非诉讼法律事务时所用的语种或某一语种的部分用语,它是在立法和司法等活动中形成和使用的具有法律专业特点的语言。法律英语特点鲜明,在词汇使用上庄重规范,书面语多,句法结构纷繁复杂,大量使用祈使句、被动语态、综合复杂句以及虚拟语气等。法律英语目前已经成为法律与英语中的一门交叉学科,在社会上日益得到广泛的重视和应用,本文主要对法律英语翻译进行了总结分析,希望能够对法律英语翻译的进一步发展有所帮助。

一、法律英语的特征

法律英语就其文体来说属于职业专用英语,是一种正式的书面语体,是应用语的一个分支,也是具有良好发展前景的一种语种。其行文庄重、结构严谨、表达准确。作为一种专用英语,法律英语在词汇的使用、句法的安排、文体的选择上都有自己独有的特征,具体来说:

1.句法特征

句法特征是法律英语特征的重要组成部分,常包括惯用长句,分词短语使用普遍(为了清晰地表达句意,法律英语往往更多地使用分词短语来代替从句做定语、状语或宾语),介词和介词短语使用频率高,条件从句使用率高。法律英语句法的这些特征是我们研究和对其进行翻译时所必须深入考虑和分析的。

2.词汇特征

词汇特征是法律英语特征的又一重要组成部分,具体来说分为使用法律专门术语(法律英语在长期的法律实践中逐渐形成了一些具有个性化色彩的法律语言);拉丁语频繁被使用(由于历史和现实的原因,拉丁语在英美法律实践中频繁被使用);相对词义的词语大量涌现;普通词语被赋予法律含义,如Party在法律英语中被理解为“当事人”等。

3.文体特征

法律英语属于书面英语。在起草法律文件时,严密准确是法律英语最重要的最基本的要求和特征。只有严密准确的法律英语才能保障法律的权威性,才能更好地反映立法意图并体现立法原则,才能更好地维护法律双方当事人的利益,才能更好地便于对法律进行解读和执行,从而有利于提高整个社会的法制水平。

二、法律英语翻译

1.法律英语翻译的一般原则

法律英语是一种应用性比较强的语言类型,法律英语翻译一般来说要遵循以下一些基本原则:①词语使用的庄严性。法律英语由于其直接鉴定了双方当事人的权利与义务,所以对用词的准确性要求相当高。这一点是在进行翻译时必须牢记的。②准确性原则。在对法律英语进行翻译时应当表达清楚具体,并尽量摆脱汉语思维习惯的影响,注意两种语言在表达上存在的差异,避免因使用错误的词语而使翻译失去准确性。③精炼性原则。翻译法律英语除了准确外,还应遵循精炼的原则,即用少量的词语传达大量的信息。精炼性原则要求应尽量做到舍繁求简,避免逐词翻译、行文拖沓。④术语一致性原则。为了维护同一概念、内涵或事物在法律上始终同一,以免引起歧义,即使同一词语多次重复,一经选定就必须前后统一等。法律英语的这些翻译原则是我们在进行法律英语翻译时所需要遵循的基本原则。

2.法律英语翻译的基本方法

法律英语翻译是国家间进行交流的一个重要内容,法律英语翻译的目的就是克服客观物质世界存在的民族差异性的障碍,促进国家之间的法律交流。根据笔者多年的学习、观察,法律英语翻译的基本方法主要有:①选择内涵最接近的法律词汇进行翻译。在中西法律文化之间,有些词的含义是不可能完全一致的,但是,在一般的情况下在这两种文化之间会存在内涵最为接近的词汇,这时可以采用而不会导致太大的误读。②创造新的法律词汇。很多的情况之下,译者们在面临一种文化中有而另一种文化中无的事物时,会采用音译的办法,翻译法律英语时也需要进行一种创造性的加工和想象,如罗马法系中的“legal person”最初被译成“法人”,“due procedure”译成“正当程序”等都是一种建设性的创新。③必要的解释。由于中西方诸多法律理念的基本差异,法律英语中有许多的词汇如果直接翻译,就会使它的意义非常不明确,此时,在忠实原文内涵的基础上做一些人为的增减就非常必要。法律英语以上的一些基本翻译方法是我们在进行法律英语翻译中可以采取的一些基本方法。

三、影响法律英语翻译的因素

1.语言文化差异

英汉两种语言文化背景不一,在行文结构、遣词习惯及句法层面上相去甚远。英语句子重分析,故造句多形合。而汉语句子则重意合,是靠逻辑事理的顺序来实现意合、流动、气韵三位一体的横向铺排的。由于两种语言特征各异,再加之法律语言的措辞要求严谨,故在翻译时往往不能正确遵循各自的语法要求,从而不利于表达。语言文化背景的差异已经得到社会各界广泛的认可和重视。

2.包括法系在内的法律文化差异

王佐良先生认为:“翻译工作者处理的是个别之词,面对的却是两大文化。”法律英语翻译不仅仅是两种语言的对译,恰恰相反,由于法律英语涉猎范围甚广,包括各部门法以及诸多法律边缘学科,故从事法律英语翻译的人士须熟悉中英有关的法律知识,如果缺少相应的法律文化底蕴尤其是一些法制史方面知识的了解,稍有不慎就会谬以千里,造成不完全理解或理解错误。法律文化的差异目前已经引起了社会各界的关注和重视。

3.思维方式差异

中西方由于语言文化习惯、生活习惯和饮食习惯的差异导致他们在逻辑思维方式上同样存在差异,思维方式的差异一方面将影响到其思考、分析问题的方式方法,另一方面也将影响到其理解、翻译语言的方式。因而,可以说,思维方式的差异同样是影响法律英语翻译的重要因素之一。

法律英语是法律与英语相结合而形成的一门应用非常强的学科。法律英语翻译之难就在于翻译的过程要实现法律与英语的双重要求。区别于其他的英语翻译,法律英语由于其准确性要求高,法律知识面要求广,因而法律英语对翻译人员提出了更高的综合素质要求。这既对他们是一个挑战也是一次机遇。希望本文对法律英语翻译的有关知识点的总结和梳理能够对我们认识和把握法律英语翻译,并进而提高法律英语的翻译质量和水平有所帮助。

参考文献:

[1]邱贵溪.论法律文件翻译的若干原则.载.中国科技翻译.2000年5月.

[2]苏珊.法律英语及其语言特征.载.河南省政法管理干部学院学报.1999年第4期.

[3]陈水池,罗孝智.法律英语用词的准确性特征.载.湘潭师范学院学报(社会科学版).2003年9月.

[4]谢燕鸿.法律英语翻译的准确性与模糊性.载.双语学习.2007年9月.

篇4

一.法律文化与法律英语

“所谓‘法律文化’,是指在一定社会物质生活条件的作用下,掌握国家政权的统治阶级所创制的法律规范、法律制度或者人们关于法律现象的态度、价值、信念、心理、感情、习惯以及学说理论的复合有机体。”一方面,起源于中华法系、建立在大陆法系基础之上具有鲜明社会主义特色的中国法律与起源于中世纪日耳曼习惯法和诺曼王朝国王法院的判例、以英美资本主义国家为代表的英美法系存在着巨大的文化差异;另一方面,“在全人类的文化中,存在着共同的核心,换言之,各种文化相覆盖的部分就是文化共核。”不同国家在长期的生产生活中,随着交往的不断扩大及加深,对世界的各个方面形成了一定的共识。而基于法律方面共识所形成的各种法律文化相覆盖的部分就是“法律文化共核”。

众所周知,语言与文化是密不可分的,它们相互依赖并互相影响。法律英语与法律文化的关系亦是如此。法律英语,作为ESP的分支学科之一,无论是在词汇、语法和语域还是在语篇、体裁及技巧等方面都存在着不同于日常英语的特色。对非以英语为母语的学习者而言,法律英语在每一个层面都浸透及彰显着英美等国家的法律特色。从文化语言学的角度来看,一方面,法律英语不仅仅是英语国家法律文化的重要组成部分,是其赖以形成和传承的形式与手段,它还从各个方面体现了英语国家法律文化并对其形成与发展起着积极的推动作用;另一方面,法律英语又是英语国家法律文化的产物,英语国家法律文化,作为法律英语存在的背景条件,无时无刻不对其进行着渗透和制约。因此,法律英语的翻译不仅仅是一种语言转换,也是一种法律文化的转换,是一种跨法律文化的交际活动。

二.从《美国模范刑法典》看法律文化对法律术语的影响

如上所述,中国法律与英语国家的法律(以英美为代表)既存在着“法律文化共核”,又存在着巨大的“法律文化差异”,而这种差异又在其各自法律语言上打上了深深的烙印。对此,笔者拟结合《美国模范刑法典》对其进行简要剖析:

建立在大陆法系基础上深受前苏联刑法理论及研究模式影响的中国现行刑法与源于英国普通法的美国刑法从立法到司法都存在着巨大差异。诸如,在美国,法官具有较大的自由裁量权,其“立法定性、司法定量”的法律理念根深蒂固。因此,在犯罪认定上,美国刑法注重定性,其犯罪圈划得相当宽泛,就连很多在中国刑法中违反治安管理条例的行为也都被认定为犯罪。《美国模范刑法典》第104条将犯罪分为“felonies”,“misdemeanors”,“petty misdemeanors”和“violations”四类就是对此的集中体现。然而,历来以制定法为主体的中国刑法在认定犯罪时,虽然也重定性,但更重定量、重结果。这体现在《中华人民共和国刑法》中大量如“后果特别严重”及“数额特别巨大”等规定中。换句话来说,我国的犯罪圈相对较小,因此,在《中华人民共和国刑法》中不存在类似上述分类,即使在目前的刑法理论界,开始有学者提出“重罪与轻罪”的分类,但与上述分类亦不完全对应。又如,中国刑法受几千年封建刑法及前苏联社会主义刑法的影响,强调义务及维护社会秩序的功能。因此,中国刑法采取的是同时具备犯罪客体、犯罪客观方面、犯罪主体及犯罪主观方面的耦合式犯罪构成,并突出犯罪的本质特征是严重的社会危害性。而美国刑法则更突出强调权利、平等及刑法保障人权的功能。因此,美国的犯罪构成为双层次结构:其一,犯罪的实体要件,这包括《美国模范刑法典》第2.01-2.03条所规定的“voluntary act”, “culpability”及“casual relationship between conduct and result”;其二,责任充足条件,即各种合法辩护的排除。分析上述两种犯罪构成体系,可知,一方面,二者之间存在“文化共核”,例如都对精神上的障碍以及行为人的年龄予以了考虑;但同时二者之间又存在着“文化差异”,如《美国模范刑法典》中有关“culpability”的具体规定和中国刑法中的相关规定存在着很多不同之处,而这无疑造成了法律术语的不对应。

三.法律术语跨文化翻译策略――以《美国模范刑法典》为例

法律文化之间的相似性使不同国家法律术语之间的转换成为可能,而法律文化之间的差异性又使得这种转换变得尤为困难及复杂。对此,笔者认为,任何法律术语都是其法律文化的一部分,任何法律术语的意义都直接或间接地反映了一种相应的法律文化,而最终也只能在与该术语相应的法律文化中得出其真正的含义。具体而言,可以通过探讨及比较源语与译入语法律文化间的“共核”及“差异”,将法律术语具体分为以下三类并对其采取不同的翻译策略:

其一,基本对等,指得是当源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B具有完全相同的本质特征及绝大多数的非本质特征时,或者当A具有B所有的特征而B具有A中所有的本质特征及绝大多数的非本质特征时,源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B为基本对等词。这类词汇无疑是比较容易翻译的。对此,绝大多数学者建议采用直译的方法。但实际上,这样的做法却并非完全妥当。诚然,在“文化共核”的情形下,准确有效的翻译成为可能并变得相对简单,在大多数情况下,采用直译的方法也确实能够完成翻译的目标,如对“casual relationship between conduct and result”一词的翻译,虽然《中华人民共和国刑法》没有明确提出“因果关系”这一概念,但在中国刑法理论却一直都对“危害行为与危害结果之间的因果关系”予以强调。因此,虽然中美刑法中“因果关系”的含义不尽相同,但直译无疑可以完成功能对等的既定目标。但在另外一些情况下,直译却不是有效的翻译。如对“voluntary act”一词的翻译。虽然中美刑法采取了不同的犯罪构成体系,但在现代社会普遍强调“人权”及“自由”这一文化背景下,双方都排除了思想犯,肯定了只有存在“行为”才可能成立犯罪这一“共性”,这也就成为“基本对等词”成立的重要前提。基于此,很多译者将其直译为“自愿行为”,这一翻译虽不能说错误,却不甚恰当。一方面,“自愿行为”一词容易产生歧义,其所对应的是“不自愿行为”, 而通过将“voluntary act”一词置于《美国模范刑法典》这一具体语境下,可以得知其实际内涵为排除了“反射动作、痉挛、无意识或睡眠中的身体动作、处于催眠状态中的动作、由催眠中的暗示所引起的动作以及非基于行为人的意思活动或者意思决定而做出的有意识或者习惯性的其他身体动作”以及不作为之外的行为。虽然《中华人民共和国刑法》没有明确规定与之相对应的词汇,但是根据刑法理论中有关“危害行为”的论述,即“危害行为,指得是在人的意志或者意识支配下实施的危害社会的身体动静,有作为与不作为两种基本表现形式”,我们可以得知,其与“危害行为”的表现形式之一“作为”具有完全相同的本质特征及绝大多数的非本质特征,二者为“基本对等词”。因此,笔者认为,没有必要再通过直译的方式创设出一个新的并且可能产生歧义的词汇,可以直接在探析两国文化的前提下,在译入语中找出源语的功能对等词。

其二,部分对等,指得是当源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B的绝大多数本质特征及部分非本质特征相同时,或者当A具有B的所有特征而B仅具有A的绝大多数本质特征及部分非本质特征时,源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B为部分对等词。在这种既存在“文化共核”又存在“文化差异”的情形下,翻译则变得相对棘手。一个比较典型的例子就是上述“felonies”及“misdemeanors”二词。正如上述,中美两国法律文化的差异导致了犯罪分类的不同。《美国模范刑法典》根据刑期将犯罪明确分为四类;而《中华人民共和国刑法》则从犯罪主观方面的角度将犯罪分为“故意犯罪”和“过失犯罪”两类。这无疑是两种不同的分类。因此,之前的学者在翻译“felonies”及“misdemeanors”时,往往根据其字面含义将其译为“重罪”及“轻罪”。然而,这样的翻译并不妥当。虽然在当今中国刑法理论中,有刑法学者主张将犯罪分为“重罪”及“轻罪”以更好地区分不同性质的罪犯,但结合《美国模范刑法典》可以得知,“felonies”指得是“本法典指定为重罪,或者可处以(死刑或者)未适用加重刑期之规定1年以上监禁刑的实质犯罪”; “misdemeanors”指得是“本法典或者本法典生效后颁布的其他制定法规定为‘misdemeanor’的实质犯罪”。而在中国刑法理论中,对于“重罪”及“轻罪”的划分标准则不尽相同,一般认为,应当判处的刑罚为3年以上有期徒刑的犯罪为重罪,应当判处不满3年有期徒刑的为轻罪。这种刑期上限的不同正是对中美刑法中“犯罪圈”大小的直观反映。如果我们简单地将“felonies”和“misdemeanors”译作“重罪”与“轻罪”,则无疑会产生误解。因此,笔者建议,在翻译时,可以对其予以限定,将其译为“法定重罪”及“法定轻罪”似更为恰当。

其三,不对等,指得是当源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B仅有某些相同的本质特征或者没有相同的本质特征时,或者当A具有B的全部特征而B仅具有A的某些本质特征或者不具有A的任何本质特征时,源语中的法律术语A与译入语中的法律术语B为不对等词。不对等词的产生及存在正是对不同法律文化差异最直接及最鲜明的体现。而对于这类词汇的翻译无疑是最困难的。对此,笔者建议在忠实源语法律文化的前提下,灵活地采用释义、译借及创造新词等方法。例如,对于“petty misdemeanors” 一词的翻译,即可通过直译的方式直接创造在美国刑法规范中存在而在中国刑法文化中不存在的新词。根据《美国模范刑法典》,可以得知其具体内涵为“本法典或者本法典生效后颁布的其他制定法规定为‘petty misdemeanors’的实质犯罪,或者依照本法典以外的制定法可处以最高不超过1年的监禁刑的实质犯罪”。鉴于在中国刑法文化中,目前尚不存在与其基本或部分对等的词汇,因此,我们可以直接将其译为“轻微罪”,这样既能给读者以直观的印象,亦不会产生误解。当然,根据之前的分析,为了保证其与“felonies”和“misdemeanors”二词翻译的统一,如将其进一步限定为“法定轻微罪”则更为恰当。又如,对于“violations”一词的翻译则可以采取释义的方法。犯罪圈大小的不同,导致在中国刑法及刑法理论中并不存在“violations”这类的犯罪,而如果仅通过直译的方式将其译作“违反行为”则无疑忽视该词在《美国模范刑法典》中的实际内涵,即“本法典或者本州其它制定法规定为‘violation’,或者仅可以处以罚金、罚金和没收或者其它民事制裁,或者本法典以外的制定法规定犯罪不构成实质犯罪,本法典或者其它制定法规定的不产生有罪认定所引起的限制能力或者法律上不利的犯罪”。基于此,笔者认为,可以通过使用中文中相关词汇将“violations”的意图含义表达出来,即将之释义为“不产生实质犯罪法律后果的法定非实质犯罪”。当然,虽然使用释义的方法,可以帮助译入语的读者更好地理解源语法律术语的含义,而不是仅停留在表面意思,从而提高了可读性,但是一般在这种情况下,译者需特别谨慎,尽可能地掌握第一手材料,正确的理解源语文化中源语的真正内涵。

参考文献:

[1]Basnett,S.A.Lefevere.Translation,History & Culture [M].London: Pinter Publisher,1990.

[2]Nida,E.A.Language and Culture-Contexts in Translating [M].Shanghai:Shanghai Foreign Language Education Press,2001.

[3]Sarcevic,S.New Approach to Legal Translation [M].The Hague: Kluwer Law International,1997.

[4]高铭暄,马克昌. 《刑法学》(第二版)[M].北京:北京大学出版社、高等教育出版社,2007.

篇5

2.法律英语模糊词语的运用与翻译

3.法律语言学、法律语言——兼谈法律英语的特点

4.法律英语教材评价实践

5.高校开展专门学术英语教学之瓶颈与对策刍议——以法律英语教学为视角

6.法律英语词汇特点及翻译

7.影响法律英语翻译的因素

8.法律英语教学现状分析与教学改革思路探讨

9.国内法律英语研究二十年

10.法律英语长句翻译策略

11.论法律英语课程“双高”教学目标的实现 

12.法律英语教学的困境与改革

13.法律英语的文体特征与翻译策略

14.法律英语语法特点初探 

15.论法律英语在法学专业双语教学中的重要作用

16.法律英语的语言特点及翻译 

17.法律英语句子结构特点及其翻译 

18.法律英语词汇特点及其翻译方法探析 

19.法律英语课程全英教学研究 

20.法律英语汉译中归化与异化之选择

21.法律英语文本名词特点及其翻译

22.法律英语翻译的模糊性与准确性 

23.法律英语汉译中的术语不可译及其处置

24.法律英语增强语的语义属性及词语搭配调查——一项基于法律汉英平行语料库的研究

25.法律英语文体特征浅析  

26.法律英语教学与国际型法律人才的培养  

27.法律英语的句法特点及其汉英翻译策略 

28.法律英语翻译中的文化因素探析 

29.法律英语的模糊性特征 

30.中西法律文化、语言习惯对法律英语翻译的影响 

31.法律英语名词化剖析及汉译英策略 

32.法律英语的词汇特征

33.法律英语名词化词语的汉译研究

34.法律英语与涉外律师——兼谈高校法律英语教学 

35.法律英语的词源与专门术语

36.法律英语词汇特点分析

37.法律英语课程的定位分析及其教学范式研究

38.法律英语中古体副词的构成、含义及翻译

39.法律英语的语体特点研究 

40.法律英语的历时演变及其翻译标准

41.法律英语中长句的翻译 

42.法律英语的语言特点及课程设计

43.法律英语渊源及其词汇特征

44.法律英语的语言风格之我见 

45.英国法律英语课程教学模式研究——一项基于诺丁汉大学的调查

46.法律英语中的模糊语言及其翻译策略研究

47.法律英语教学模式的探索 

48.从法律英语词汇特点看法律文献汉译英

49.我国法律英语教材的编写与出版现状研究

50.法律英语特点及其应用  

51.法律英语的文体特点及英译技巧

52.“多模态信息认知教-学模式”初探——复合型课程“法律英语”教学改革尝试

53.法律英语的语言特点及其形成原因 

54.法律英语教学中应注意思考的几个问题

55.法律英语用词的准确性特征 

56.论法律英语的语言特点 

57.法律英语的语言特点及翻译技巧 

58.论法律英语的汉译 

59.法律英语教学模式比较研究 

60.论法律英语翻译的原则 

61.法律英语的长句翻译  

62.法律英语翻译的准确性与模糊性

63.法律英语翻译:特点与要领

64.评复旦大学《法律英语》中的译注——兼谈法律专门术语翻译的基本原则

65.法律英语的语言特征与翻译原则

66.法律英语课程设置和教学模式研究 

67.法律英语语言的简明化 

68.法律英语词汇特点分析

69.法律英语教学法研究 

70.试论法律英语的词法和句法特点

71.法律英语的语言特点及其翻译技巧 

72.法律英语的翻译策略

73.基于法律文化语境的法律英语翻译原则与策略

74.法律英语的语言特点与翻译技巧 

75.法律英语的模糊现象及其翻译 

76.文化差异对法律英语翻译的影响 

77.法律英语中的隐喻研究及其汉译

78.浅议法律英语的翻译原则与技巧

79.论法律英语的语言与文体特点

80.法律英语词汇的特点及其翻译 

81.法律英语翻译中的方法研究 

82.法律英语长句特点及其汉译 

83.法律英语的词汇特征分析 

84.法律英语人才培养刍议 

85.法律英语教学若干问题的探讨

86.法律英语的用词特点及翻译 

87.从功能对等理论看法律英语术语的跨文化翻译

88.法律英语语句结构探析

89.古体词在法律英语中的用法和译法 

90.浅析法律英语中用词的精确性原则

91.法律英语含义探究 

92.法律英语文体特点及汉译英翻译策略

93.ESP理论与法律英语学科建设 

94.浅谈法律英语词汇特点及翻译

95.法律英语及其语言特点

96.法律英语的语言特征

97.法律英语文本中情态动词shall的用法及翻译

98.基于目的论的法律英语翻译浅探

99.法律英语的词源与专门术语

100.法律英语的文体特征与翻译方法  

101.文化心理学视角下的法律英语翻译研究

102.法律英语中情态动词shall的语气、情态及其翻译 

103.法律英语中的名词化现象及其语体特征

104.浅谈法律英语的特点及翻译 

105.法律英语中“shall”一词的翻译 

106.海事法律英语的文体特征及其翻译策略

107.海事法律英语的语言特征及翻译中的若干问题

108.大学公共英语、法律英语与法律双语教学的关联性研究

109.试论法律英语教学的定位

110.文化语境下的法律英语词汇翻译 

111.论法律英语的词汇特征

112.我国法律英语人才培养模式探析

113.论法律英语教学法 

114.法律英语用词之特点 

篇6

文化的概念有广狭义之分,最广义指人类的一切活动及其结果,包括物态的、制度层面的、行为层次以及心态思想层面,而狭义的则仅指心态思想层面。物态层次的文化主要指中国古代文化典籍,是“加工,创造的各种器物,物化的知识力量”。制度层面的文化是“各种规范体系”,随着清末变法、西学东进的热潮而消逝。但行为文化方面,“约定俗成的风俗习惯”却随处可见,如农村结婚仍遵循的婚姻六礼(纳采、问名、纳吉、纳征、请期、亲迎),家产继承中的出嫁女几无份额,拒讼,被誉为东方司法独创的调解制度,以及刑法中主刑为什么是五种而不是更多,甚至 “和谐社会”的提倡,这些都能在古代法律中找到原型(当然古今对和谐的理解有质的区别)。

但清末至今,众人对古代法律文化却大多持批驳的态度,似乎只有符合西方标准的社会才是至善完美的。近十余年法学家热衷于探讨中国法学何去何从,选择本土化还是西方化,所以深入研究古代法律文化既可知古又可鉴今。

一、中国法律文化概述

文化是在比较中产生的,如果没有西方法律文化的存在,也就不会有东方文化,中国法律文化的对称。“每一种文化都有其特定的法律,而每一种特定的法律也都有其特定的文化[1]”,法律文化作为文化整体下的子系统,从最狭义的定义看,是指一系列行为、风俗中所含的稳定的观念、心态。法律文化有其特定的研究对象和方法,学界主流观点主要有以下三种:法律文化是由法律制度、法律思想、以及与法律相关的行为方式组成的复合体[2];作为人类文化重要组成部分的法律文化,主要指内化在法律思想、法律制度、法律设施以及人们的行为模式中,并在精神和原则上引导或制约它们发展的一般观念及价值系统[3];法律文化既是一种用文化的眼光认识法律的思维方式和研究方法,也是一种具有实体内容和对象化的文化结构,并且这两个方面是互相联系着的[4]。

以上几种观点各具独特的视角,但都体现了以下几点:一是学科视角的转变,从文化学到法学。二是研究对象的具体变化。三是研究活动性质的变化,由纯对象之争到方法之争。

二、礼与法的关系考察

法律文化的特征在于与“礼”这一概念的复杂关系,理解法律文化不能孤立地考察法本身,而应从法与礼关系的发展来研究法律文化。

(一)礼的起源及含义

中国古代文化的核心在于礼,提及古代法律文化最直接的观念就是“德主刑辅”、“德礼为政教之本,刑罚为政教之用”,但这并不是古代法律文化的全部。确切地说,由汉武帝尊儒术为始,成熟于唐代的《唐律疏议》,发展固化于元明清的高度概括和总结。源头在周公制礼,周公历经多次制周礼,形成一套完善的治理系统。

礼一开始就有义和制的区分,前者指精神层面的亲亲、尊尊(后来发展为忠孝节义),后者指“五礼(吉、嘉、宾、军、凶)”或“六礼”。此时的“礼”就是现在的“法”,因为其满足“法”的三大特征:规范性、国家意志性和国家强制性。法的产生和壮大是历史的必然。儒家重视礼义,法家重制度建设,各有侧重,而儒法在汉代的合流,根源在于两者起源的同一,是历史发展的螺旋上升而不是简单的反复。

(二)礼与法关系

传统意义上的法不等同于现今意义上的法,仅指制度规范层面,而不当然包含法的学理学说,这一观点严复有明确的表述。中国有礼刑之分,以谓礼防未然,刑惩已失。而西人则谓凡著在方策,而以一国必从者通谓法典”,并进而指出西方法对应古代中国的不仅是刑律,更有理、礼、法、制之意,简言之,西方法既有制度规范又有学理学说之意,现代法理学对法的研究就是这样,而律在古代多指制度规范,法(确切说是律)的价值剥离为“礼(义)”,礼是中国古代法律追求的目标。

三、中国法律文化的特征

(一)对和谐的不懈追求

古代的和谐指的是一种朴素的自然主义精神,既包括对自然也包括对人。“皇天无亲,唯德是辅”,“天行有常,不为尧存,不为桀亡”,天不是人格化的神,而是自然,对社会秩序的破坏就是打乱了整个宇宙的秩序、自然的秩序。这种对人与自然和谐相处的观念在法律上表现为:一是对生态的保护,如秦律中对违天时狩猎的处罚;二是始于汉代的秋冬行刑制度。《唐律·断狱》“诸立春以后,秋分以前决死刑者,徒一年”,违时行刑,被视为逆天之道,会受到刑事处罚,因为刑杀是剥夺生命的屠戮,“天之道,春暖以生,夏暑以养,秋清以杀,冬寒以藏”,所以刑杀当在秋冬以与时令相符。三是无讼观念,子曰“听讼,吾犹人也,必也使无讼乎(论语·颜渊)”。虽说在任何一种社会形态下,多讼都不是社会的追求,讼作为对和谐、秩序的破坏从来不是古代法律的目的,但中国似乎更有特点,无讼成为一种形式化的标准。

(二)对道德和礼的追求

这里的礼既有礼制也有礼义。从历史的发展看,法(刑)的产生即是维护礼治,西周的“明德慎刑”思想就有了偏“德”(这里的德不是指道德)之意。而张中秋在《中西法律文化比较研究》中表述,汉武帝至东汉末年,“引经决狱”和研究律学,从解释法律这种侧面迂回实现维护礼治。但此时引经决狱本身即表明礼和法还是分立的。西汉宣帝“亲亲首匿”入律,三国两晋南北朝时期 “引经入法”,借立法之机把“八议”(曹魏新律)、“准五服以治罪”(晋律)、“官当”(北魏律)、“重罪十条”(北齐律)入法,礼的内涵、制度得到法律的确认。隋唐承旧制,把礼奉为最高的价值评价标准,凡礼之所认可的就是法所赞同,反之,礼之所去亦法之所禁,即“礼之所去,刑之所禁,失礼则入刑,相为表里也”(后汉书·陈宠传),达到了“唐律一准乎礼”。

(三)法的工具性价值的突显

中国法在产生时也有自己的核心,也有公平正义的因素,《说文解字》中“??,刑也,平之如水,?D,所以触不直者去之,从去”就有公平判断之意。但这种核心又有一套自己完整的体系,即人伦道德,经统治者整理后的礼(周公制礼),法的价值就在于礼的实现,法本身没有产生自己的完整内核,虽然也有公平正义的追求,但公正的标准在于礼,而不是法。简言之,法在维护“礼”的实现的工具性价值得以充分体现的同时,不自觉地丧失了自身的价值。这在晚清政府修律中的“礼法之争”(中学为体,西学为用)和民国时“立宪与共和之争”都有体现,礼的过分强大拘束了法律的自我进化。

(四)重人情轻“法律”

“人情即法,重于法”,第一个法指的是法的价值,是判断法的标准,第二个法指的是具体的条文,即法条是维护人情的工具,必要时可以破法容人情。最重要的是当法与情冲突时,不能轻易破法容情,而须等到法律的修、改、废的原则维护了法律的权威。西方也有宗教规范等与法的权威对抗,犹如礼义与法的对抗,但法的公平正义理念占据了上风。而在中国争取权威的斗争中,源远流长的“人情文化”占据了上风,人情的强大压灭了法的权威,即使有严格执法的个例,但却不能得到民众和统治者的认同,因为法本身的价值不是最终的评价标准。

【参考文献】

篇7

1. 法律英语的特征

法律英语就其文体来说属于职业专用英语,是一种正式的书面语体,是应用语的一个分支,也是具有良好发展前景的一种语种。其行文庄重、结构严谨、表达准确。作为一种专用英语,法律英语在词汇的使用、句法的安排、文体的选择上都有自己独有的特征,具体来说:

1.1 句法特征

句法特征是法律英语特征的重要组成部分,常包括惯用长句,分词短语使用普遍(为了清晰地表达句意,法律英语往往更多地使用分词短语来代替从句做定语、状语或宾语),介词和介词短语使用频率高,条件从句使用率高。法律英语句法的这些特征是我们研究和对其进行翻译时所必须深入考虑和分析的。

1.2 词汇特征

词汇特征是法律英语特征的又一重要组成部分,具体来说分为使用法律专门术语(法律英语在长期的法律实践中逐渐形成了一些具有个性化色彩的法律语言);拉丁语频繁被使用(由于历史和现实的原因,拉丁语在英美法律实践中频繁被使用);相对词义的词语大量涌现;普通词语被赋予法律含义,如Party在法律英语中被理解为“当事人”等。

1.3 文体特征

法律英语属于书面英语。在起草法律文件时,严密准确是法律英语最重要的最基本的要求和特征。只有严密准确的法律英语才能保障法律的权威性,才能更好地反映立法意图并体现立法原则,才能更好地维护法律双方当事人的利益,才能更好地便于对法律进行解读和执行,从而有利于提高整个社会的法制水平。

2. 法律文体翻译的理论

法律翻译的目的,是产生一个和原法律文本在功能和传意方面都尽可能对等的文本,从而维护某个法律文件在不同语言国家和地区在理解和应用方面的统一和协调。

2.1 对等理论

为使源语和目的语的之间的转换有一个标准,减少差异,尤金·A·奈达从语言学的角度出发,根据翻译的本质,提出了著名的“动态对等”翻译理论,即“功能对等”。 “动态对等”中的对等包括四个方面:1. 词汇对等,2. 句法对等,3. 篇章对等,4. 文体对等。在这四个方面中,奈达认为“意义是最重要的,形式其次”。形式很可能掩藏源语的文化意义并阻碍文化交流。因此,在文学翻译中,根据奈达的理论,译者应以动态对等的四个方面作为翻译的原则准确地在目的语中再现源语的文化内涵。

2.2 翻译目的论

德国功能派翻译学学者汉斯·弗美尔提出了翻译目的论,强调译者的目标决定翻译行为过程。目的论注重的是翻译的互动及语用层面,主张目的不是固定不变的,会随着接受者的不同而变化。译者采用的翻译策略是目的决定手段。图里则将目的论描述为一种可供选择的以目的为中心的翻译策略。

将此理论与法律翻译实践相结合,那就是说,翻译预计要产生的法律文本决定一切。如法律问题翻译的目的是为了普法宣传及教育,则应该尽量采用前线的语言翻译出一个一般民众易于接受的文本,翻译出学术性强、有深度的译品。

3. 法律文体翻译的方法

法律文本的翻译,必须达到一个对等的标准,及语言学层面的法律概念,思想体系方面,在此节当中,我们将不在讨论此方面的习得,而主要讨论法律文体翻译方法。

3.1 术语及专业词汇的翻译对等

一个科学领域内,一个术语只表达一个概念,同一个概念只用一个术语来表达。术语最突出的特点是词义单一而固定,每个专业术语所表示的都是一个特定的法律概念,在使用时其他任何词语都不能代替。例如:“termination(终止)”不能用 “finish”代替;“invoke(援引)”不能用“quote”代替;“peremptory(最高)”不能用“supreme”代替;“a material breach(重大违约)”不能用“a serious breach”代替.其他,burden of proof(举证责任),cause of action(案由),letters patent(专利证书),negotiable instrument(流通票据),reasonable doubt(合理的怀疑),contributory negligence(与有过失),等等。

3.2 词类转化

在翻译法律文体词汇的过程中,应该结合英汉语言在词类方面的异同,因地制宜的采取不同策略处理英汉或汉英翻译中的词类文体。尤其需要注意的是代词、动词和名次等词类的翻译,英语有动词名词化的倾向,而汉语多用动词,法律文体也是如此。英语法律文体中选择重复名词性表达,而不像其他文体那样用代词来代替,除非带词的使用决无引起歧义或所只没有不明确的可能。避免使用带感彩和夸张涵义的形容词及副词。

原文:禁止抢采掠青、毁坏母树(《种子法》第24条)。

译文:Plundering of unripe seeds and doing damage to other trees are prohibited.

分析:原文采用否定祈使句来表示对人人都适用的禁止性规范,“抢采”和“毁坏”都是动词,译文将它们分别译成带有名词性质的动名词“plundering”和“doing damage to”就是通过名词化手段模糊和隐藏了动作的行为者,从而弱化了法律行为主体,扩大了法律适用范围,而且使语言更加简练。

3.3 具体语境具体翻译词意

准确理解法律文体词汇,是翻译法律文书的前提和基础。在这里具体语境具体分析具体词汇的翻译就显得由为重要。

首先,要注意词义在上下文中的一致性。

例如:“对本协议在解释上若有分歧,应以……文本为准。”“解释”一词,可以翻译成explanation, explication, expounding, interpretation.但该句中的“解释”是指对法律条文的正式解释,interpretation恰好符合这样的含义,故一般翻译成“In case of any divergence of interpretations of this agreement, the…text shall prevail。

其次,要注意同义表达在译文中的不同含义。

例如:草签文本:一个缩略的文本,译成 initialed text草签合同:对合同条款的初步认证,但尚不具备法律效力,译成referendum contract。

再次,要从法律概念上理解词义。

例如:诉讼参加人:不译成litigant(仅仅指“诉讼当事人”)而译成litigant participant,因为它指参与诉讼活动的人,包括:当事人,第三人,共同诉讼人”等。

最后,正确选择结构词,不能从源语字面来翻译术语。

例如:合同双方:both parties to the contract这里的介词to不能用of代替,因为to是指“作为一方参加某个机构”。

3.4 长句的翻译

法律英语在句法方面,长句、复杂句比较多,把错综复杂的信息通过各种连接有逻辑地安排在一个句子当中;为了准确完整地表达一个法律概念和法律事实,排除错误的可能性,条件句、定语从句的使用频率非常高。在翻译复杂的长句时,要先简化句子的结构,剔除定语、状语等修饰语,寻找主谓宾,抓住中心意思。如下例:Subject to the provision of Article 12,the General Assembly may recommend measures for the peaceful adjustment of any situation,regardless of origin,which it deems likely to impair the general welfare or friendly relations among nations,including situations resulting from a violation of the provision of the present charter setting forth the Purposes and Principles of the United Nations.

该句独立成段,句子主干部分占不到全句的三分之一,其余皆为限定和修饰成分,短语有“subject to the provision of Article 12”和“regardless of origin”,从句有“which”从句,“which”从句还有它自己的修饰成分,由“including”引导。我们只有理解了这些结构之间的逻辑关系,才能正确的进行翻译。当然,前面所谈的状语的翻译技巧在翻译长句时也是必不可少的。

篇8

法制现代化是一个世界性的普遍发展现象,但是世界各地又存在着各种不同的发展模式。研究法制现代化的模式,对现代化进程进行总结,其意义不仅仅在于回顾发达国家的法制现代化进程历史,更重要的是能够为我国正在进行的法制现代化提供经验和教训。从而更好的推动我国的社会变革和法制变革,更快的实现我国的现代化。我国许多学者对这个问题作出了大量富有见地的论述,将法制现代化道路按照不同的标准进行了分类。吕世伦教授借鉴我国现代化学者对现代化道路的分类将法制现代化模式分为内源的法制现代化和外源的法制现代化。夏锦文教授在此基础上以法制现代化的动力来源为标准,将法制现代化划分为内发型法制现代化模式、外发型法制现代化模式和混合型法制现代化模式。

一、法制现代化的概述

(一)法制现代化的概念

一个社会的法制从传统人治型法律规范价值体系向现代法治型法律规范价值体系的转型变革过程。可以从两个层面来理解:第一从横向来看,包括法律制度的现代化和法律观念的现代化,观念现代化了,才是现代化真正实现了。第二从纵向来看,包括立法现代化、执法现代化、司法现代化、守法现代化和法律监督现代化。

(二)法制现代化的特征

法制现代化是一个历史变更的概念。法制现代化是人类法律文明的成长与跃进过程。这种历史性跃进,导致整个法律文明价值体系的巨大创新,法的现象绝不是凝固不变的,而是随着社会经济、政治、文化等条件的发展变化而不断运动的社会现象。

法制现代化是一个民族性的概念。法制现代化这样一个普遍性的进程总是要在一个国家具体进行,在不同的国家所呈现的特点和样式并不一样,每个国家都会有体现自己民族特色的法制现代化特征。因此,法制现代化是一个具有特定民族精神的概念,是共性与个性的统一,是世界性与民族性的统一。

法制现代化是法律的理想目标和现实进程的统一。法制现代化作为一个过程体现时间的连续性和历史的承接性。法制现代化的目标就是现代型法治社会的建构及其在生活中的实现,以现代法治国家的形成作为其终点。第四,法制现代化是法律的工具价值与目的价值的统一。法律的工具价值体现在运用现代化的法律来治理现代化进程中的国家、社会,通过法律的治理实现法治。法治国家的形成也就是法制现代化的目的所在。

二、法制现代化的模式

(一)内发型法制现代化模式

1、内发型法制现代化的定义

内发型法制现代化是指一个国家或社会的法制因内部诸条件的成熟而从传统走向现代的历史性跃进过程。这种法制现代化模式以英国、法国等西欧国家和美国为典型。从动力来源上看,内发型法制现代化模式的动力主要来自社会内部,是因社会内部经济因素的增长和生产方式的发展所导致的社会进步对法律变革的需求。

2、内发型法制现代化的特征

内发型法制现代化是一个由社会自身条件成熟而发展起来的自发的、渐进的法制变革过程。西方法律伴随着教皇革命、宗教改革运动、罗马法复兴运动不断演进;同时,也伴随着英国光荣革命、美国大革命、法国大革命逐渐成熟。从不成文法到成文法、由宪法典到民法典进而到其他部门法典,西方法律的形式化运动蔚为大观。正是在这样的进程中,西方法制逐渐展开了从传统走向现代的内发型现代化的历史画面。

(二)外发型法制现代化模式

1.外发型的法制现代化的定义

外发型法制现代化主要是指在一国内部社会需求软弱或不足的情况下,由于一个较为先进的法律系统的剧烈冲击和强大压力,而被迫对法律制度和法律体系所实行的突变性的改革。

2、外发型法制现代化的特征

外发型法制现代化的特征在政府的目标指导下设计形成的,人为设计和建构出来的。即以国家强制力为支撑通过加强立法来人为地、有计划地创造一种现代化的社会秩序。

(三)混合型法制现代化模式

1、混合型法制现代化模式

是指因各种内外部因素相互影响形成的合力所推动的一国法律体系从传统型人治走向现代化法治的革命性变革。

2、混合型法制现代化模式特征

这种模式中存在着两方面的动力,即域外法律文化的冲击和该社会内部的经济、政治、社会、文化诸方面因素的作用。并且需要内部因素和外来影响相互作用,其中,社会内部存在着的处于变化状态中的经济、政治、文化基础和条件是推动法制现代化进程的主要动力根源。

通过对法制现代化概念和发展模式的阐述,我们发现,无论采取什么样的模式,对于中国的法制现代化,其最终结果是要诞生体现中国特质的中国法律。这是一种反映了中国法律人一个多世纪的不懈追求和当代中国法制理想的中国法律,这是一种在中国法律文化与世界法律文化相交融的基础上能够与世界法律文化平等对话的中国法律。参考文献:

[1]陈如男,过曦岚.当代中国法制现代化模式探析[J].中国商界,2009(08).

[2]张光剑.清末修律与近代中国法制现代化[D].吉林大学,2008.

篇9

中图分类号:D90 文献标识码:A 文章编号:1006-4117(2012)02-0026-03

法系是比较法学理论中的一个重要概念,是伴随着比较法研究的兴起而产生的,可以说是比较法的衍生物,但对其研究却是最基本的、前提性的。要进行比较研究,对纷繁复杂的各国法进行有效且合理的划分无疑是必要的,在这情况下研究作为法系的基石的概念和划分标准便显得至关重要了。

一、法系定义通说

法系作为一个基本概念,不但构成了比较法学的理论基础,而且为比较法的研究指明了研究的路径――对各国法进行识别归类比较,这一点诸多学者在各自的论著中都有阐述,现今在学术界已经形成共识。但法系的概念并不确切,导致对法系划分标准和划分结果产生不利影响。下面列举一例,试说明之。

法系的一般定义为:一般是指有若干国家和地区的,具有某种共性或者共同传统、原则、制度和特征等因素的法律的总称。首先,法系不是指一国的法律,而是若干国家或地区的法律,突破了地区的界限和国家的疆界。如:除大不列颠群岛以外的欧洲大陆的国家所适用的法律,这一地区的法律统称做大陆法系。其次,之所以不同国家或者地区的法律可以划归一类,是由于从某一标准上说的,而且这种标准是多元的。最后,一个法系中的任何法律当然是属于一定社会制度的法律,因为不同社会制度的法律主要是以不同的生产方式来划分的。例如奴隶制法律、封建制法律、资本主义法律、社会主义法律等。所以,确定这种共性和共同传统的标准必须是统一的,否则就没有了划分的可能性和比较的可操作性。

上述概念是关于法系的不完全表述,遗漏了两个重要方面:首先,上述概念没有指出作为体现法系所固有的现实基础和精神内涵――法律文化。其次,上述概念没有指出同一法系当中不同国家和不同地区法的关系――“族系”。在吸收和批判上面两个定义的前提下,较之以下定义较为妥帖、全面。

二、法系定义新探

即在若干国家和地区,人为地按照多元的划分标准,根据法的某种共性将其识别与归类,进而形成法律体系以体现特定法律文化(LegalCulture)的法的族系(或法族,LegalFamily)[1]。

分析上述法系的概念,首先,若干国家或地区的法律。法系不是指一国的法律,而是数国或数个地区的法划分为同一法系,它突破了地区的界限和国家的疆界。“从这个意义上讲,研究法系必须有一种比较的视野”。[2]因此,用比较的方法去研究法系,才能洞见法的异同,从而进行法系的准确划分。其次,法系产生的人为性特征。法系并非天然的存在物,而应当遵循比较法的基本目的和原则,研究者人为地根据其主观意图,将世界诸法律进行识别和归类而形成的带有某些共性的法的族系。所以,自法系理论诞生以来就带着鲜明的主观色彩,随着研究者的比较视角的不断转换而不断变化。从这一角度可以推导出比较研究的目的论基础――服务于比较研究。再次,多元划分标准。之所以奉行多元划分标准,是因为:首先,单一的划分标准,不能客观的反映所有法律的共性,更不能悉数囊括世界上纷繁复杂、形形的法律形态。其次,运用单一的划分标准,法系的分类必然会流于片面,从而使得划分趋于偏执和异端,甚至将一些无关紧要的标准考虑到划分法系的领域内,诸如人种和语言这样的标准。所以,达维德在《当代主要法律体系》一书中最先提出划分法系的多元化标准。第四,体现特定的法律文化。特定的法系必然植根于特定的法律文化,而且必然以此作为继续生存的土壤。比如英美法系,其鲜明的特征是判例法,由此就产生了一系列体现这一特征的法律制度、法律观念,譬如判例法制度、陪审团制度;大陆法系的诉讼中心主义、注重实体法的观念等。这些制度和观念的形成无疑是植根于不同历史文化传统土壤之中的。比如:遵循先例、思维的保守性和变革缓慢性、注重程序的“诉讼中心主义”、立法的情境思维。正是由于不同的法律文化才将不同国家、地域的法律根本的区别开来。所以,将法律文化引入法系的概念之中很有必要。第五,法的族系。英文LegalFamily,既然是宗族或者族系,就必然存在继受和移植关系,也势必产生母法系和子法系,因此,将母法和子法划分为同一法系来比较研究,就存在合理性、必要性和可操作性,而这正是将子法纳入比较法研究对象的理论前提。

在对事物进行下定义的过程中,确切地反映着人们对此事物认知的深度和精度。对一事物认知越深刻,定义就越准确,就越能反映事物的本质,最终才能科学地指导理论研究和社会实践。对法系的定义亦如是,将其定义纳入法律文化这一宏观的体系之中进行研究,无疑是洞悉了影响各国法律之异同的内在缘由。基于对此问题的本质认识,得出的法系的定义才是科学的,从而实现了法系定义对法系划分的宏观指导和原则性掌控。

三、法系的再划分

(一)法系划分的基本原则

法系的划分绝不能漫无边际、到处游离,必须遵照一定的划分原则或准则,以此来框定划分的适当范围(不能太大亦不能太小),并体现划分的主观意图――便利于比较研究。划分法系的基本原则包括:比较原则、划分标准多元化原则和比较研究便利原则等。

1、比较原则。划分法系的前提是对我们所要划分的法进行有效且合理地比较,只有通过比较才能在头脑中粗略地形成最初的法系划分雏形,所以比较的原则或方法在最初的划分工作中显得格外突出。“从这个意义上讲,研究法系必须有一种比较的视野”。

2、划分标准多元化原则。在划分法系时不能片面地追求划分标准和划分结果的统一性和单一性,因为这种思维和方法并不能真正反映法系的形态,从而掩盖了法的真正差异,最终必将造成法系边界的模糊。只有擎着比较研究的最终目的这一大纛,用多元的划分标准去界分不同的法才可以得出合乎理论和实践的结论。

3、比较研究便利原则。自法系理论诞生之初,其目的是为了便于法的比较研究,故不同学者根据其主观意图,人为地将世界上的法进行划分。因此,现今诸学者根据自己的标准提出了形形划分方法,各持己见争论不休。笔者认为,他们在根本上忽略了划分法系的目的性要求,那就是法系的划分要服务于比较研究,并且以此作为法系划分的基本原则。比如,划分法系如若太过琐碎,那么比较的工作量必然会很大,而且难度也会随着比较项的数目的增多而递增,导致在比较理论研究实践中难以执行,且研究结论也没有太大意义;若划分法系太过笼统,就很难看到法的各自特质,导致彼此的差异淹没于粗略划分体系的瀚海中,很难为人们所认识和发掘,所以由此产生的结论难免会流于片面或以面盖全,从而失去其划分的科学性。综上所述,划分法系必须要遵守比较研究便利原则,在此原则的指引下的比较研究结论才是科学的、合理的且是为人们所普遍信服的。

(二)划分标准的决定性因素和影响性因素

将法系的划分标准分为决定性因素和影响性因素,或称之为:主要因素、非主要因素。决定性因素,顾名思义是指明显区别于其他法系的固有特征,很少会随着时间的变迁而发生质的改变,即使改变也只存在量的不同,而不存在质的差异,所以此特征直到现在仍然是很显著的区别标准,所以笔者称之为决定性要素。影响性因素,是指随着时间的流逝或者重大的社会改革或革命而发生改变,但不是根本性的区别因素,在某些情况下可能趋同于别的法系,并不能决定其归宿。比如,意识形态,我国是社会主义国家,但是并不能说我国的法属于社会主义法系,因为,我国的法蕴含着大陆法系的诸多因子,而且随着对各国法的学习和借鉴,以后会更加接近大陆法系,还有可能存在判例法的成分而接近英美法系,显然按照社会意识形态划分法系的做法是欠妥的。

1.法系划分标准的决定性因素

(1)法律秩序在历史上的来源与发展。“可以说发源乃是重要的样式构成个要素的最好证明。”[3]但是,这个标准必须事先预设存在某一法的“家族”,并安排好这一家族中的“母法”之国或者“母法秩序”,然后根据历史性的、关联性的因素初选出“子国”之国或者“子国秩序”。这从某种程度上导致了“法律优越论”的论断。当然,从法律科学性的层面而言,客观上存在着优劣之分,但是就法律民族而言,这种标准尚存在商榷之处,在此我仍然将其作为划分法系的依据之一,是因为研究法系的形成与演化有利于纵向认识和比较法律。在移植和继受别国法的同时势必会有意无意的移植和继受他国的法律文化。所以,在移植别国法的合理素材的同时必须充分考虑到滋生此种法律的文化土壤,如若看不到这一层次,移植过来的法一定会“水土不服”,而不符合我国自身的法律实践,最终不利于问题的解决。

(2)别具一格的法律制度[4]。例如英美法系的判例法制度;大陆法系的行政法院制度。这些独特的法律制度无不植根于特定的法律文化。藉上述英美法系举例,其认为唯有传统是优于理性的,而理性却是一种危险的观念,所以这种法律基础思想或者法律文化直接地决定了法律制度的取向,尊重传统习惯便在判例法制度中得以充分的体现。

(3)基于的一定哲学基础和思想方法。在传统中国“阳儒阴法、道家调和、众说混杂”的治国理念的指导下,逐渐形成了强调人治主义、义务本位、集体主义、追求秩序与和谐的价值取向的国家本位主义;而西方则秉持着古希腊哲学和圣经哲学,形成权利本位的观念,从而形成崇尚个体自由、正义和民主的个人本位主义。这些产生于各自民族文化的思想观念必定会影响人们对法律的认识,以此形成一定的法律观念。在法的制定和法的运行过程中也会凸显出这些根深蒂固的价值观念,随着时间的流逝而形成独具特色的法律文化。此外,还必须具有一定的法律思想方法,比如罗马法系“倾向于法律规范的抽象化”的“体系性思维”,[5]所以德国和法国的法律也具有此特征。英美法系的法律则不同,“用梅兰特的话说就是理论上的先验理论,从而没有抽象的规范。”[6]这些对法律的截然不同的看法(或者法律文化)最终形成了两种截然对立的法系分野。

(4)法律文化。由此可以看出,基于特定的历史文化传统形成的法律文化作为区分法系不可或缺的识别地位,笔者遂将上述三点区别标准统一于法律文化这一大纛之下。所以,将法律文化作为法系划分的决定性因素是有其合理性的。

2.法系划分标准的影响性因素

(1)意识形态。意识形态这个概念具有很大的模糊性,直到现在有很多学者仍对其进行不断的探讨,但是很少取得一致性意见,据说对意识形态的定义有700多个[7],这样就给法和意识形态的关系研究带来困难,而在现实生活中,意识形态对法的影响确实存在着,因为它直接体现该国或该地区的政治或社会价值取向。基于政治法律关系的二元论学说,法律的发展具有脱离政治而形成其独有的发展进路,加之由于意识形态的模糊性,在划分法系之时必定会掩盖世界诸法律所具备的某些共性。因此,意识形态对法系的划分而言只能是影响性因素,而并非决定性因素。

(2)民族差异[8]。特定的民族精神会在一定程度上影响着法律的特质,一个追求自由、平等和个体利益且注重实用价值的民族,其民商法一定是发达的;英国人的保守性格或许促成了判例法制度的形成;中华民族却截然不同,她过分依赖与尊重群体,从而缺乏个体的主动性和创造性,长此以往便形成了国家、集体本位的思想,并且有着强烈的宗法思想观念,所以,立法和司法必定会本着国家和集体本位去考虑,凸显出了义务本位的特质。此外,在治理国家的理念中注重礼治,便有了社会心理基础。随着法律的移植,民族因素的影响可能趋于减弱,进而消失,但就目前情势而言,客观上存在着一定的影响作用,而绝非决定性的。

除上述四个决定性因素和二个因素之外还有:文明程度[9]、法律技术等划分方法,笔者认为都存在缺陷,而且有歧视他国之嫌。基于上述划分标准的分析阐述,笔者将法系划分如下。

(三)法系划分

英美法系;大陆法系;东亚、南亚法系;伊斯兰法系和印度法系。

上述即是通过多元的划分标准、充分考量比较研究的便利性原则和划分标准之人为性、目的性要素所做出的各国法的识别与归类,笔者认为具有合理性和科学性。

总之,重新界定法系定义从而廓清法系划分,最终目的在于对各国、各地区的法进行更确切的比较研究,可以说这正是划分法系的目的论基础,不然,各国学者会对此问题纠缠不清、莫衷一是,只能是徒劳无功、浪费人力,最终不利于比较法学理论体系的建立。随着全球化趋势的发展,法系必然会有新的定义和新的划分标准出现,但“法律文化”作为重构法系定义和划分法系标准之决定性因素,其基础性地位是不可动摇的。

作者单位:宁夏大学政法学院

作者简介:辛一科(1988―),男,乌兰察布市人,宁夏大学政法学院法学理论专业研究生。

参考文献:

[1][日]大木雅夫著.比较法[M].范愉译.北京:法制出版社,2006:104.

[2]何勤华.法律名词的起源(上编)[M].北京:北京大学出版社,2009:42.

[3][日]大木雅夫著.比较法[M].范愉译.北京:法制出版社,2006:129.

[4][德]K・茨威格特H・克茨合著.比较法总论[M].潘汉典等译.北京:法制出版社,2003:113.

[5][德]K・茨威格特H・克茨合著.比较法总论[M].潘汉典等译.北京:法制出版社,2003:109.

[6][德]K・茨威格特H・克茨合著.比较法总论[M].潘汉典等译.北京:法制出版社,2003:110.

篇10

中国古代有无民法,自清末变法修律至今一直多有争论,但肯定者也极少论及中国古代民法文化的特征。本文试图勾勒中国古代民法文化的特征,并简要分析一下形成这些特征的经济、政治、文化原因,以期了解我国民法的文化底蕴,也能对我们现今的民法典进程有所启示。

中华传统文化博大精深,传统法律文化更是独树一帜。自然经济的禁锢,等级制度的藩篱,使得传统民事制度处于夹缝之中,高度发达的刑事法律制度,更使其显得苍白无力。以至有学者认为,中国传统法律是以刑法为中心的法律模式,民事法律是一个空白。不可否认,中国古代确实没有西方意义上的民法,也没有形成独立的民法体系。但不论从客观存在的需要调整的民事关系,还是保存下来的法律文本,我们都可以窥见民法之一斑。而中国传统社会的保守性与封闭性、宗法性与伦理性也深深烙印于民事制度之上,形成了独具特色的中国古代民法文化。

一、中国古代民法文化的特征

发达的农耕文明孕育了中国古代民法文化的独特气质。虽然中国古代没有形成独立的民法体系,但透过多样的法律形式,我们仍可以发现隐于其中的民法精神和独特之处。中国古代民法文化的特征大致可以归纳为以下几个方面:

(一)内容简单化

与罗马法以及后来的大陆法系相比,中国古代的民法极不发达。民事法律制度调整的权利义务内容多集中在婚姻、家庭关系方面,而有关物权制度、法人制度、诉讼制度这些在罗马法上发达的制度内容却很少涉及。

中国古代还没有现代民法中的自然人、法人的观念。在民事活动中,多不以自然人为民事主体,而是将宗族团体看作一个独立的实体。家庭事务多以家长为代表,“在家从父”、“即嫁从夫”、“夫死从子”,妇女没有民事主体地位。有尊长在,子孙不具有独立的民事权利,不是独立的民事主体,这种情况一直持续到清末变法修律。公元前594年,鲁国实行“初税亩”,“溥天之下,莫非王土;率土之滨,莫非王臣”的局面被打破,国家开始承认土地的私有现象。但中国长期的封建专制统治,使得物权的规定仅涉及所有权、典权,并且极不发达。《清稗类钞》:“典质业者,以物质钱之所也。最大者为典,次曰质,又次曰押。”[ 1 ]这说明当时仅以典质物的大小区分不同的物权现象。

与中国古代的刑法、行政法相比,民事法律制度的内容也极其简单。中国古代刑法的发达程度在世界上可谓首屈一指。从战国李悝著《法经》起,到《大清律例》都以刑法为主。中国古代自夏朝建立即开始制定行政法律规范。现存的《周官》是中国最早的一部行政法性质的法典。《唐六典》是中国最早的一部真正意义上的行政法典。明清《会典》,内容涉及行政体制、官僚机构、行政管理体制等诸多方面。而民事关系一直被视为无关紧要的“细故”,国家很少干预。

(二)私法公法化

在中国古代社会中,客观上存在着财产关系、商品交换关系、婚姻关系和家庭关系,然而传统法律对上述私法关系的调整却采取了公法的制裁手段,即违法违制都毫无例外地规定了刑法性后果———刑罚。以契约法为例,古代法典中虽也不乏有关合同的条文,但制裁手段几乎只限于刑罚。至于合同本身的效力问题,则长期以来听任习惯法支配。例如,唐律关于“行滥短狭而卖者,杖六十”的规定,就“行滥短狭而卖”而言,无疑是有关商品买卖关系中的合同履行问题,因而该规范是民事规范,但是,对这样一种“行滥短狭”行为给予杖六十的刑罚处罚,则显然属于刑法性后果,故而该规范又完全是刑事规范[ 2 ] 。再如,《唐律疏议·杂律》规定,债务人不履行契约,违契不偿、负债不还的,要受笞二十至杖六十的处理,债权人向债务人索取财物超出契约规定数量,或债务人向债权人给付数量不足的,均应以“坐赃论”。

民事规范的刑法化也充分表现在婚姻家庭关系领域。《唐律疏议·户婚》规定:“诸同姓为婚者,各徒二年。”若卑幼不依家长而私自婚娶者,要受杖一百的处罚。“诸祖父母、父母在,而子孙别籍、异财者,徒三年”。明律规定:“凡同居卑幼不由尊长私擅用本家财物者,二十贯笞二十,每二十贯加一等,罪止杖一百。”又规定:“立嫡子违法者,杖八十。”[ 3 ]很显然,这些纯属婚姻家庭关系的民事违法行为,在中国古代法律中却被认定为犯罪,并处以较为苛重的刑罚。

(三)法律伦理化

纵观中国历代封建法典,可以发现,法所调整的社会各个领域和各种社会关系,都被笼罩上了一层纲常伦理关系,伦理关系代表古代中国人身关系的全部,一切的人身关系都被纳入君臣、父子、兄弟、夫妇、朋友这五伦之中,并以纲常伦理为出罪入罪、轻重缓急的准则,民事领域也不例外。古代中国,贵贱、上下决定每个人在社会上的地位和行为;尊卑、长幼、亲疏则决定每个人在家族以内的地位和行为。个人地位不同,彼此间的权利义务关系也不一致。在君臣关系中,“礼乐征伐自天子出”、“君要臣死,臣不得不死”。在《居家杂仪》有关于父子关系的内容:“凡诸卑幼,事大小,勿得专行,必咨禀于家长”,家长有家庭财产的最高支配权,有家政的最高决策权,同时,父又有将子女作为财产出卖之权,父还有主婚权。在夫妻关系中,是一家之主,有决策之全权,妇只可顺从,《礼记·郊特性》:“妇人,从人者也,幼从父兄,嫁从夫,夫死从子。”夫妻之间是极为不平等的。如《大清律例》规定:妻没有家庭财产的支配权,必须从夫,妻不得有私财,甚至改嫁时不但不能带走夫之财产部分,并且连其从娘家带来的嫁妆亦由夫家作主[ 4 ] 。

(四)均衡观

中国古代有大量关于均衡的议论。如《尚书·洪范》有:“无偏无党,王道荡荡;无党无偏,王道平平;无反无侧,王道正直。”《老子》称:“天之道,损有余而补不足。”孔子说:“不患寡而患不均,不患贫而患不安,盖均无贫,和无寡,安无倾。”[ 5 ]“尚中庸,求和谐”在中国传统文化中占据核心地位,并成为传统价值体系中最高的价值原则。在民事领域,更是主张公允适应、不偏不倚、崇尚稳定,注重调和,反对走极端。

例如,中国古代在债权关系方面相当注重对于债务人的保护。很早就有明确限制债务利息的法律,唐宋时法律原则上不保护计息借贷债权。均衡观在财产继承方面反映的尤为显著。自秦汉以后,在财产继承方面一直贯彻“诸子均分”的原则,无论嫡庶、长幼,在继承财产方面一律平等。遗嘱继承在中国民法史上一直被忽视,在被继承人有子女时,遗嘱尤其是份额不均的遗嘱完全不被认可。

(五)多种形式间的脱节

在中国古代社会,习惯法是有适用余地的。习惯法具有属人、属地的特性,而且反映了历史的延续性和浓厚的亲情、乡情,因此,中国古代历代对习惯法都采取默认的态度[ 6 ]38。但错杂而不统一的各种民法渊源必然存在矛盾之处,两者若即若离。例如,古代社会主张“同姓不婚”。《大清律例·户律·婚姻》:“凡同姓为婚者(主婚与男女)各仗六十,离异,妇女归宗,财礼入官。”但在山西清源,陕西长安、直隶、甘肃、湖北等地都流行同姓为婚,以至迫使官府认可其合法。再如,“尊卑为婚”,按规定“若娶己之姑舅,两姨姊妹者,杖八十,并离异”,也迫于民间禁而不止,最后在附例中不得不规定:“其姑舅,两姨姊妹为婚者,听从民便。”在清代的立法和司法实践中,除上述民事习惯法与国家制定法存在矛盾外,由于立法技术不高和法理上的疏漏,即使在制定法之间,也存在着许多冲突。例如,为养父母服丧问题,《大清律例》与《大清会典》规定为“斩衰三年”,《礼部则例》则规定为“齐衰不杖期”[ 6 ]39。[ hi138/Com]

二、中国古代民法不发达的原因分析

中国古代民法忽视个人,不讲平等,如果用一个词来概括中国古代民法文化的特征,那就是“不发达”。而造成这种局面的原因是多方面的,既有经济的原因也有政治、文化的原因, 具体分析如下:

(一)经济上:商品经济的落后

古今中外,凡是商品经济发达地区,其民法也较发达,凡是商品经济落后地区,其民法也较落后。商品经济是民法产生的土壤和前提条件。中国封建社会自秦朝以来,一直是一家一户、男耕女织的自然经济,生产仅用于自我消费,消费也基本上可以从自然经济中得到满足,个别物品的交换往往以物物相易的方式实现,货币交换与商品经济极不发达。封建统治阶级依靠对土地的所有权对农民进行残酷的剥削、压迫,农民被迫依附于地主的土地忍受剥削、压迫,双方根本没有平等、交换可言。自然经济具有封闭性、孤立性、单一性和自足性的特点,它造成了生产者之间的隔离,而不是相互依赖和相互交往,由于这种生产方式在一定程度上不依赖于市场,因此,以交换为纽带的商品经济也就无从发展。商品经济的落后,束缚了调整平等主体间财产关系和人身关系的民法的发展。

(二)政治上:专制主义的束缚

中国古代的政体是专制主义政体。从秦统一天下建立皇帝制度起,两千年来专制皇权不断膨胀。为了维护专制制度,封建统治者极力维护其赖以生存的自然经济基础,严厉打击一切危及国家统治和皇帝安全的行为。历代统治者都极为重视能直接产出生活或战争所需物质的农业,认为“农业是立国之根本”,而把发展商品生产认为是本末倒置。如商鞅认为:“国之所以兴者, 农战也”、“国待农战而富,主待农战而尊”。唐太宗李世民也认为:“凡事皆须务农,国以人为本,人以衣食为本。”历代统治者对商品生产的发展多方加以限制,阻碍了民事关系的产生。一方面,对有利可图的盐、铁、丝稠、瓷器、茶叶、酒、矿山等重要的手工业生产和贸易实行国家垄断,还颁布《盐法》、《茶律》限制私人经营;另一方面,对于民间手工业和商业的发展给予种种限制和打击。如汉高祖刘邦对富商课以重税,不允许其子孙为吏,唐朝时将工商之人列为百工杂流,同巫师相提并论,宋朝时定商税以比较,明代禁止出境营商,禁止官宦家庭经营商业,否则子孙累世不得为吏,对宦官经商者处罪[ 7 ] 。

中国古代社会强调“家国一体”。在中国传统法律文化中,到处充斥着君权、父权、夫权,强调家族主义,向来忽视“个人”。在家族时代,家族组织在社会中具有相当重要的地位。它是社会中最基本的组织形式,有着极为广泛的社会职能,包括宗教、教育、经济以及现在专属国家的行政、司法等方面的职能。个人被束缚在家族的身份网络之中。一个人最基本的身份首先是某个家的成员,在家这样一个伦理实体中,个人主义意义上的个人是根本不存在的。

(三)文化上:重义轻利的观念

儒家传统文化历来推崇“重义轻利”的思想。孔子说:“君子喻于义,小人喻于利。”孟子也有这样的看法,他对梁惠王说:“王何必言利,亦有仁义而已矣。”秦代以后,董仲舒又进一步提出:“正其谊(义)不谋其利,明其道不谋其功”的反功利主义观点。“贵义贱利”的价值观,肯定了“义”是处理人与人之间关系的首要准则。孟子说:“仁之实,事亲是也。义之实,从兄是也。”孟子把义作为与仁等同的概念处理。义的概念,就孟子看来,其实是宗亲关系的引申。从汉代“罢黜百家,独尊儒术”开始,儒家思想即成为封建正统思想。因此,在中国传统社会“义”成为普遍的道德要求,是儒家学说中人之所以为人的准则而加于人们的职责和义务。“重义轻利”的观念,深深植根于中国传统文化中,历经两千年而不衰。由于传统文化强调重义轻利,法律自然就排拒个人对私人利益和个人权利的追求,进而不断压抑商品经济的发展,而这与自给自足的自然经济也正好契合。

近些年来,民法学界将较多的精力放在对大陆法系民法典的研究上,取得了丰富的理论成果,为中国民法的继受性法文化打下了厚实的基础。

但关于中国民法如何与民族传统文化沟通连接、继承认同这一重要理论区域却没有得到应有的重视。“法与文化是不可分割的。”[ 8 ]每一个民族的法律文化,都有其不同于其他民族的特征,表现出不同的民族地域性风格。在任何一个国家,法律制度的形成和变革总是取决于自身特定文化背景。因此,中国传统文化是中国民法法典化的社会基础,在完善民事立法和制定民法典的过程中,在研究移植罗马法时,应注意到对传统文化的吸收,要以科学、理性的态度来把握。我们必须看到,中国传统文化虽然否定了自由、平等、权利,中国民法文化先天不足,后天不良; 但是也应该看到,中国传统法律文化作为中华民族长期社会实践的成果之一,其中诸如集体本位观念、德法并重的思想、和谐观念、善良风俗等内容在中国民法法典化的进程中仍然具有积极的正面效应和古为今用的实践价值。[]

参考文献

[ 1 ]中华文化通志编委会. 法学志[M ]. 上海:上海人民出版社, 1998: 280.

[ 2 ]孔庆明. 中国民法史[M ]. 长春: 吉林人民出版社,1996: 255.

[ 3 ]苏亦工. 明清律典与条例[M ]. 北京:中国政法大学出版社, 2000: 282.

[ 4 ]大清律例[M ]. 田涛,郑秦,点校. 北京:法律出版社,1999: 775.

[ 5 ]韩延龙. 法律史论集:第2卷[M ]. 北京:法律出版社,1999: 51.

篇11

中国古代有无民法,自清末变法修律至今一直多有争论,但肯定者也极少论及中国古代民法文化的特征。本文试图勾勒中国古代民法文化的特征,并简要分析一下形成这些特征的经济、政治、文化原因,以期了解我国民法的文化底蕴,也能对我们现今的民法典进程有所启示。

中华传统文化博大精深,传统法律文化更是独树一帜。自然经济的禁锢,等级制度的藩篱,使得传统民事制度处于夹缝之中,高度发达的刑事法律制度,更使其显得苍白无力。以至有学者认为,中国传统法律是以刑法为中心的法律模式,民事法律是一个空白。不可否认,中国古代确实没有西方意义上的民法,也没有形成独立的民法体系。但不论从客观存在的需要调整的民事关系,还是保存下来的法律文本,我们都可以窥见民法之一斑。而中国传统社会的保守性与封闭性、宗法性与伦理性也深深烙印于民事制度之上,形成了独具特色的中国古代民法文化。

一、中国古代民法文化的特征

发达的农耕文明孕育了中国古代民法文化的独特气质。虽然中国古代没有形成独立的民法体系,但透过多样的法律形式,我们仍可以发现隐于其中的民法精神和独特之处。中国古代民法文化的特征大致可以归纳为以下几个方面:

(一)内容简单化

与罗马法以及后来的大陆法系相比,中国古代的民法极不发达。民事法律制度调整的权利义务内容多集中在婚姻、家庭关系方面,而有关物权制度、法人制度、诉讼制度这些在罗马法上发达的制度内容却很少涉及。

中国古代还没有现代民法中的自然人、法人的观念。在民事活动中,多不以自然人为民事主体,而是将宗族团体看作一个独立的实体。家庭事务多以家长为代表,“在家从父”、“即嫁从夫”、“夫死从子”,妇女没有民事主体地位。有尊长在,子孙不具有独立的民事权利,不是独立的民事主体,这种情况一直持续到清末变法修律。公元前594年,鲁国实行“初税亩”,“溥天之下,莫非王土;率土之滨,莫非王臣”的局面被打破,国家开始承认土地的私有现象。但中国长期的封建专制统治,使得物权的规定仅涉及所有权、典权,并且极不发达。《清稗类钞》:“典质业者,以物质钱之所也。最大者为典,次曰质,又次曰押。”[1]这说明当时仅以典质物的大小区分不同的物权现象。

与中国古代的刑法、行政法相比,民事法律制度的内容也极其简单。中国古代刑法的发达程度在世界上可谓首屈一指。从战国李悝著《法经》起,到《大清律例》都以刑法为主。中国古代自夏朝建立即开始制定行政法律规范。现存的《周官》是中国最早的一部行政法性质的法典。《唐六典》是中国最早的一部真正意义上的行政法典。明清《会典》,内容涉及行政体制、官僚机构、行政管理体制等诸多方面。而民事关系一直被视为无关紧要的“细故”,国家很少干预。

(二)私法公法化

在中国古代社会中,客观上存在着财产关系、商品交换关系、婚姻关系和家庭关系,然而传统法律对上述私法关系的调整却采取了公法的制裁手段,即违法违制都毫无例外地规定了刑法性后果———刑罚。以契约法为例,古代法典中虽也不乏有关合同的条文,但制裁手段几乎只限于刑罚。至于合同本身的效力问题,则长期以来听任习惯法支配。例如,唐律关于“行滥短狭而卖者,杖六十”的规定,就“行滥短狭而卖”而言,无疑是有关商品买卖关系中的合同履行问题,因而该规范是民事规范,但是,对这样一种“行滥短狭”行为给予杖六十的刑罚处罚,则显然属于刑法性后果,故而该规范又完全是刑事规范[2]。再如,《唐律疏议·杂律》规定,债务人不履行契约,违契不偿、负债不还的,要受笞二十至杖六十的处理,债权人向债务人索取财物超出契约规定数量,或债务人向债权人给付数量不足的,均应以“坐赃论”。

民事规范的刑法化也充分表现在婚姻家庭关系领域。《唐律疏议·户婚》规定:“诸同姓为婚者,各徒二年。”若卑幼不依家长而私自婚娶者,要受杖一百的处罚。“诸祖父母、父母在,而子孙别籍、异财者,徒三年”。明律规定:“凡同居卑幼不由尊长私擅用本家财物者,二十贯笞二十,每二十贯加一等,罪止杖一百。”又规定:“立嫡子违法者,杖八十。”[3]很显然,这些纯属婚姻家庭关系的民事违法行为,在中国古代法律中却被认定为犯罪,并处以较为苛重的刑罚。

(三)法律伦理化

纵观中国历代封建法典,可以发现,法所调整的社会各个领域和各种社会关系,都被笼罩上了一层纲常伦理关系,伦理关系代表古代中国人身关系的全部,一切的人身关系都被纳入君臣、父子、兄弟、夫妇、朋友这五伦之中,并以纲常伦理为出罪入罪、轻重缓急的准则,民事领域也不例外。古代中国,贵贱、上下决定每个人在社会上的地位和行为;尊卑、长幼、亲疏则决定每个人在家族以内的地位和行为。个人地位不同,彼此间的权利义务关系也不一致。在君臣关系中,“礼乐征伐自天子出”、“君要臣死,臣不得不死”。在《居家杂仪》有关于父子关系的内容:“凡诸卑幼,事大小,勿得专行,必咨禀于家长”,家长有家庭财产的最高支配权,有家政的最高决策权,同时,父又有将子女作为财产出卖之权,父还有主婚权。在夫妻关系中,是一家之主,有决策之全权,妇只可顺从,《礼记·郊特性》:“妇人,从人者也,幼从父兄,嫁从夫,夫死从子。”夫妻之间是极为不平等的。如《大清律例》规定:妻没有家庭财产的支配权,必须从夫,妻不得有私财,甚至改嫁时不但不能带走夫之财产部分,并且连其从娘家带来的嫁妆亦由夫家作主[4]。

(四)均衡观

中国古代有大量关于均衡的议论。如《尚书·洪范》有:“无偏无党,王道荡荡;无党无偏,王道平平;无反无侧,王道正直。”《老子》称:“天之道,损有余而补不足。”孔子说:“不患寡而患不均,不患贫而患不安,盖均无贫,和无寡,安无倾。”[5]“尚中庸,求和谐”在中国传统文化中占据核心地位,并成为传统价值体系中最高的价值原则。在民事领域,更是主张公允适应、不偏不倚、崇尚稳定,注重调和,反对走极端。

例如,中国古代在债权关系方面相当注重对于债务人的保护。很早就有明确限制债务利息的法律,唐宋时法律原则上不保护计息借贷债权。均衡观在财产继承方面反映的尤为显著。自秦汉以后,在财产继承方面一直贯彻“诸子均分”的原则,无论嫡庶、长幼,在继承财产方面一律平等。遗嘱继承在中国民法史上一直被忽视,在被继承人有子女时,遗嘱尤其是份额不均的遗嘱完全不被认可。

(五)多种形式间的脱节

在中国古代社会,习惯法是有适用余地的。习惯法具有属人、属地的特性,而且反映了历史的延续性和浓厚的亲情、乡情,因此,中国古代历代对习惯法都采取默认的态度[6]38。但错杂而不统一的各种民法渊源必然存在矛盾之处,两者若即若离。例如,古代社会主张“同姓不婚”。《大清律例·户律·婚姻》:“凡同姓为婚者(主婚与男女)各仗六十,离异,妇女归宗,财礼入官。”但在山西清源,陕西长安、直隶、甘肃、湖北等地都流行同姓为婚,以至迫使官府认可其合法。再如,“尊卑为婚”,按规定“若娶己之姑舅,两姨姊妹者,杖八十,并离异”,也迫于民间禁而不止,最后在附例中不得不规定:“其姑舅,两姨姊妹为婚者,听从民便。”在清代的立法和司法实践中,除上述民事习惯法与国家制定法存在矛盾外,由于立法技术不高和法理上的疏漏,即使在制定法之间,也存在着许多冲突。例如,为养父母服丧问题,《大清律例》与《大清会典》规定为“斩衰三年”,《礼部则例》则规定为“齐衰不杖期”[6]39。

二、中国古代民法不发达的原因分析

中国古代民法忽视个人,不讲平等,如果用一个词来概括中国古代民法文化的特征,那就是“不发达”。而造成这种局面的原因是多方面的,既有经济的原因也有政治、文化的原因,具体分析如下:

(一)经济上:商品经济的落后

古今中外,凡是商品经济发达地区,其民法也较发达,凡是商品经济落后地区,其民法也较落后。商品经济是民法产生的土壤和前提条件。中国封建社会自秦朝以来,一直是一家一户、男耕女织的自然经济,生产仅用于自我消费,消费也基本上可以从自然经济中得到满足,个别物品的交换往往以物物相易的方式实现,货币交换与商品经济极不发达。封建统治阶级依靠对土地的所有权对农民进行残酷的剥削、压迫,农民被迫依附于地主的土地忍受剥削、压迫,双方根本没有平等、交换可言。自然经济具有封闭性、孤立性、单一性和自足性的特点,它造成了生产者之间的隔离,而不是相互依赖和相互交往,由于这种生产方式在一定程度上不依赖于市场,因此,以交换为纽带的商品经济也就无从发展。商品经济的落后,束缚了调整平等主体间财产关系和人身关系的民法的发展。

(二)政治上:专制主义的束缚

中国古代的政体是专制主义政体。从秦统一天下建立皇帝制度起,两千年来专制皇权不断膨胀。为了维护专制制度,封建统治者极力维护其赖以生存的自然经济基础,严厉打击一切危及国家统治和皇帝安全的行为。历代统治者都极为重视能直接产出生活或战争所需物质的农业,认为“农业是立国之根本”,而把发展商品生产认为是本末倒置。如商鞅认为:“国之所以兴者,农战也”、“国待农战而富,主待农战而尊”。唐太宗李世民也认为:“凡事皆须务农,国以人为本,人以衣食为本。”历代统治者对商品生产的发展多方加以限制,阻碍了民事关系的产生。一方面,对有利可图的盐、铁、丝稠、瓷器、茶叶、酒、矿山等重要的手工业生产和贸易实行国家垄断,还颁布《盐法》、《茶律》限制私人经营;另一方面,对于民间手工业和商业的发展给予种种限制和打击。如汉高祖刘邦对富商课以重税,不允许其子孙为吏,唐朝时将工商之人列为百工杂流,同巫师相提并论,宋朝时定商税以比较,明代禁止出境营商,禁止官宦家庭经营商业,否则子孙累世不得为吏,对宦官经商者处罪[7]。

中国古代社会强调“家国一体”。在中国传统法律文化中,到处充斥着君权、父权、夫权,强调家族主义,向来忽视“个人”。在家族时代,家族组织在社会中具有相当重要的地位。它是社会中最基本的组织形式,有着极为广泛的社会职能,包括宗教、教育、经济以及现在专属国家的行政、司法等方面的职能。个人被束缚在家族的身份网络之中。一个人最基本的身份首先是某个家的成员,在家这样一个伦理实体中,个人主义意义上的个人是根本不存在的。

(三)文化上:重义轻利的观念

儒家传统文化历来推崇“重义轻利”的思想。孔子说:“君子喻于义,小人喻于利。”孟子也有这样的看法,他对梁惠王说:“王何必言利,亦有仁义而已矣。”秦代以后,董仲舒又进一步提出:“正其谊(义)不谋其利,明其道不谋其功”的反功利主义观点。“贵义贱利”的价值观,肯定了“义”是处理人与人之间关系的首要准则。孟子说:“仁之实,事亲是也。义之实,从兄是也。”孟子把义作为与仁等同的概念处理。义的概念,就孟子看来,其实是宗亲关系的引申。从汉代“罢黜百家,独尊儒术”开始,儒家思想即成为封建正统思想。因此,在中国传统社会“义”成为普遍的道德要求,是儒家学说中人之所以为人的准则而加于人们的职责和义务。“重义轻利”的观念,深深植根于中国传统文化中,历经两千年而不衰。由于传统文化强调重义轻利,法律自然就排拒个人对私人利益和个人权利的追求,进而不断压抑商品经济的发展,而这与自给自足的自然经济也正好契合。

近些年来,民法学界将较多的精力放在对大陆法系民法典的研究上,取得了丰富的理论成果,为中国民法的继受性法文化打下了厚实的基础。

但关于中国民法如何与民族传统文化沟通连接、继承认同这一重要理论区域却没有得到应有的重视。“法与文化是不可分割的。”[8]每一个民族的法律文化,都有其不同于其他民族的特征,表现出不同的民族地域性风格。在任何一个国家,法律制度的形成和变革总是取决于自身特定文化背景。因此,中国传统文化是中国民法法典化的社会基础,在完善民事立法和制定民法典的过程中,在研究移植罗马法时,应注意到对传统文化的吸收,要以科学、理性的态度来把握。我们必须看到,中国传统文化虽然否定了自由、平等、权利,中国民法文化先天不足,后天不良;但是也应该看到,中国传统法律文化作为中华民族长期社会实践的成果之一,其中诸如集体本位观念、德法并重的思想、和谐观念、善良风俗等内容在中国民法法典化的进程中仍然具有积极的正面效应和古为今用的实践价值。

参考文献

[1]中华文化通志编委会.法学志[M].上海:上海人民出版社,1998:280.

[2]孔庆明.中国民法史[M].长春:吉林人民出版社,1996:255.

[3]苏亦工.明清律典与条例[M].北京:中国政法大学出版社,2000:282.

[4]大清律例[M].田涛,郑秦,点校.北京:法律出版社,1999:775.

[5]韩延龙.法律史论集:第2卷[M].北京:法律出版社,1999:51.

篇12

蒙藏传统法律文化的溯源

蒙藏传统法律文化的哲学基础。蒙古族民族法的起源,要追溯到有关图腾传说的时代。在中外史料中,蒙古族的起源多为非人格化的动物,如“狼”、“鹿”。自然崇拜与图腾崇拜一样,是原始人类最初的一种信仰。而“长生天”是蒙古人“自然崇拜”观的核心内容。基于这种客观唯心主义的认识哲学,他们对大自然“逆来顺受”、顶礼膜拜。当适应新的自然环境和社会环境时,民族的文化变化很快。①

藏民族传统法律文化主要源于有关动植物图腾和自然现象的神话传说,以及对生态环境的敬畏、崇拜、禁忌和保护生物物种的生产生活常识。在青藏高原,藏族远古祖先的生活中存在着大量的“类法”现象,包括生活禁忌和对违规行为的惩戒措施。尽管在今天,生活禁忌很难纳入国家法的范畴,但在法人类学家的视野里,禁忌恰恰是民间法最重要的形式。因此,禁忌是藏族古代法的重要渊源之一。除此之外,仪式制裁也成为高原远古人民的一种惩戒措施。②

蒙藏两族的习惯法及民间法。蒙古人有许多世代相传的“约孙”。作为蒙古社会古老的习惯,“约孙”是蒙古人调整社会关系的准则和维护社会秩序的行为规范。它们曾是蒙古大汗立法的参照依据,是蒙古法最主要的法律渊源。其中,一部分“约孙”随着国家的出现和汗权的加强被纳入到蒙古成文法序列;一些“约孙”则随时代延续下来,虽然没有演变为具体的法律条文,但它们仍有一定的社会调节功能,在社会意识形态领域处于和蒙古法律(扎撒条文)同等重要的地位,是蒙古社会真正的“习惯法”。而在藏族传统法律中,习惯法贯穿其中。赤松德赞时期制定的“公民守则”,内容涉及民众生活的方方面面,相当于习惯法。即使在今天,在国家法无规定或规定不到位的领域,民间通行的习惯法仍旧是最主要的社会规范。在法律制度不发达的古代社会更是如此。吐蕃王朝的习惯法,主要集中于民事生活领域,尤其在物权、财物的转移规则、婚姻家庭关系方面,基本上都以沿袭传统做法为主。从形态和传承方式上看,原始法较具习俗性特征而不能明确其规范内容。

蒙藏传统法律文化在历史发展中的关系

藏传佛教对两者法律文化的渗透。凉州曾是佛教文化东传的重要驿站,也是蒙藏关系发展的重要会谈地点。公元1206年,蒙古首领铁木真称成吉思汗后,藏传佛教和蒙古文化有了接触。凉州会晤时萨班在给卫藏统治者的公开信中说到:“大施主对我言:今我用世法来治理世界,汝用佛法来护持世界。”《蒙古源流》、《十善福白史》等书也把“经教之律”和“皇权之法”相提并论,把前者说成“牢不可解”,把后者说成“坚不可摧”,足见佛教之影响。③而藏族传统习惯法的所有规范大都是围绕藏传佛教而设定,其体系的根本哲学价值观皆建立在缘起因果业论为根、菩提心行为果的理论和实践基础上,其中缘起性空见宣说了世间万物的真实规律,为藏传佛教哲学观的建立提供了现实基础。藏传佛教伦理的具体戒律“五戒十善”是藏族刑事习惯法法规最早立法的主要依据。到了近代,如《果洛旧制中的部落法规》,④不仅在开篇就提到吐蕃赞普以“十善法”为法制之本的功德,并且在“治理内部法”中有称为“四法”的断讼之准。此外,蒙藏民族在对原始宗教萨满教和苯教的传承和发展过程中,意识形态领域不断相互影响,相互吸收,相互整合,两者的英雄史诗、文学艺术、建筑、医学等都留下了藏传佛教文化的烙印,这对蒙藏两个民族共同建设文化和伦理道德,充分发挥教规与习惯法的功能,将天人合一的朴素世界观发展到相对理性的主观能动性,尤其是在保护环境和民族团结方面起到了积极的作用。

两种法律文化的冲突与协调。从总体上说,藏族法典以吐蕃时期的立法宗旨和法律体系为基础,结合藏区实际,参照蒙古律例构成基本框架,是藏族习惯法律与蒙古法律规范相互影响的产物。这主要体现在蒙古和藏族聚居区,如青海海西、河南、甘南等地。在《卫拉特法典》等法典中刑罚以科罚牲畜为主,极少使用实刑。在妇女权益方面,藏族妇女的社会地位较为低下,夫权社会的特征比较明显,而蒙古均对妇女、孕妇,提供专门的法律保护。在审判方面,藏族佛教徒等神职人员共同参与有关案件的审理,并采用吃咒、盟誓等神判形式,而蒙古废除萨满信仰等崇拜,在案件审理中很少有神职人员参与。藏族法典随社会发展不断完善,渐趋成熟。如《十三法典》以《十六法典》为蓝本,删除了其中的第一、二、十六条,即“英雄猛虎律”、“懦夫狐狸律”和“异族边区律”,没有吐蕃政权时期显示武力扩张的特征,但又增加了处理地界纠纷的内容。蒙藏法典都是各地方政权对佚失在民间的法律条文进行还原与概括的成果。⑤

蒙藏传统法律文化现代社会功能的重构

在对本土资源传承与超越的同时致力于和谐社会的建设。中国的法治实现与否,关键不在于表层的硬件,而是依赖于国民的自然习性和法观念。对于法律文化的构建来说,我们可开发利用的本土资源是比较丰富的。蒙藏地区的习惯法有着很强的地域色彩,其内容往往超过正式法律的规定范围,对于民族聚居地区的社会构造及运转仍发挥着作用。了解上述民间习惯对于国家法治建设具有重要意义。法治的实现不仅靠法学家们制定完善的法律,更重要的是法律要反映普通人的生活,加强与社会大众的互动,要站在平民化的立场上去立法、司法,制定出更适宜于中国人特性的法律。认识不到这一点,无论做多少普法教育,法律也仅仅是脱离人们生活的、脱离乡土人情的、浮于表面的形式化的法律知识而已。⑥

强化民族法学研究和法制教育以提高蒙藏公民的法律素质。在民族地区,既要坚持国家统一施行的法学常识教育,又要兼顾民族地区的特殊性,要求公民既要继承发扬传统又要与时俱进地坚持法制统一,具备自律和他律两种属性的法律知识结构。要进一步加强对藏族习惯法的理论研究,重视民族法学人才的培养,为藏区的稳定发展和法制建设提供智力支持。要描述和研究以村落为载体的蒙藏族农牧民权利。除了享有农牧民自治权和民族区域自治权,其社会秩序的和谐运转还需要提供国家法之外的非制度性供给,形成禁忌、习惯法、村规民约和基本道德操守等形式的法俗文化,建立起国家法和民间法相互补充的蒙藏区村落社会的法治秩序;要从法盲的误区走出来享受经济、社会和文化发展的权利,使蒙藏族农牧民在接触传统文化的权利之外,还能自由选择接受其他现代文化,并拥有开发、利用和保护本民族文化的权利。⑦在少数民族地区执行政策和适用法律上,要注意少数民族的特殊性,对不同地区、不同民族中发生的案件,要作具体分析。

在文化多元性中重塑传统法律文化的内在价值与外在形式。在法制建设的进程中,我们要特别尊重和保护具有特殊性的民族法律文化。重塑传统法律文化的内在价值,要在遵守宪法和民族区域自治法的前提下,允许在民族地区适用其特有的法典或习惯,以利于民族地区的社会稳定和民族团结。重塑传统法律文化的外在形式,民族地区的法律工作者需要共同努力,把散乱的民族民间习惯和法律性质的条例、规则加以整理汇编,使其更具规范性和可考性,让蒙藏民族的法律法规更好地发挥效用。

从蒙古法典与藏族习惯法的传统文化特征来看,在藏族古代传统法律文化受到蒙古法律直接或间接影响的同时,蒙古法律也同样受到以藏传佛教为主体的藏族习惯法律文化的影响。事实是上,在蒙藏法律文化发展过程中,协调好国家制度和地方法俗文化的关系,对外适应,对内整合,自主管理民族事务,有利于各民族的稳定团结与和谐发展。

(作者单位:西南民族大学;本文为西南民族大学“中央高校基本科研业务费”2011度第二批“优秀学生培养工程”项目部分成果)

注释

①H. Matsumoto, T. Miyazaki, N. Ishida, K.Katayama:Mongoloid populations from the viewpoints of Gmpatterns, Journal of Human Genetics, Volume27, No.3,271-282.

②多杰:“藏族本土法的衍生与成长――藏族法制史的法人类学探索”,兰州大学博士学位论文,2009年。

③嘎尔迪:《蒙古专题文化研究》,北京:民族出版社,2004年,第230页。

④张济民:《青海藏区部落习惯法资料集》,西宁:青海人民出版社,1993年,第27~31页

篇13

随着21世纪信息时代的深入,科技的发展和生产力的不断提升,国际贸易的往来愈加的频繁。多区域经济间的合作,催生出大量的跨国公司,导致生产场地的全球化及市场经济的全球化,这种国际间的经济活动在其交流的过程直接导致了经济全球化的到来。

一、全球化及法律文化现代化简述

法律文化是人类文化瑰宝的精髓所在,人类文化的表现形式。法律文化所反映的内容是人类在长期生活中对事物的意识形态、价值体系、社会秩序、活动方式等的统一囊括。它属于人类的精神范畴与社会的物质生活是相互依存的,它不仅囊括了法律的法理内容,如:法律心理、法律概念、法理意识,还包括人类在社会活动中的法律准则、行为方式。它是人类行为方式、风俗习惯、思想模式、意识形态、道德及乃至社会、政治、经济文化的集中体现。

法律文化现代化的形成,是其法律观念、意识形态、民族精神不断修正的过程。也是对本身法律文化中不合理部分摒弃、吸纳外来法律文化的过程,这种过程是趋同于人类的历史进程当中的。法律文化的现代化就是同社会共同发展、建设、进步的过程。

二、全球化对我国法律文化现代化的影响

在全球化的浪潮下,各国间法律文化相互交流、借鉴,使其本国的法律文化受它国法律文化的影响越来越大,因此外来法律文化在全球化的趋势下,对本国的法律文化影响也呈现不断扩大、不断深入的趋势。

1.我国法律文化从单一化转变为多元化。经济的全球化,推动了我国法制建设的进程。在这个转变过程中,许多法律、法规也随着经济模式的转变而改变。一些新的法律也不断的推出:在市场主体法律制度方面颁布了《公司法》、《合伙企业法》、《个人独资企业法》,在规范市场主体行为方面有:《合同法》、《票据法》等,这些法律、法规的制定或多或少亦吸纳、借鉴了西方的法律。

2.我国法律文化呈现出公平化、一体化和职业化。在全球化的>中击下,我国进行了大量的民商事立法,人民的私有财产越来越多的受到法律保护,公开、公平、公正、诚实信用等民事活动基本原则的确立,充分体现了我国法律文化在内容上的平等化。权利本位逐渐受到越来越多学者的关注,并且开始承认权利是义务的依据,实现权利义务的一体化。,由政府主导性法律走向法律的完全职业化。

三、全球化视野下构建我国法律文化现代化的建议

全球化的浪潮影响到人类政治、经济、文化、生活各个领域,法律文化在全球化的大趋势下也不可避免的要被整合、统一。所以,我国要实现法律文化的现代化,要注意以下几点:

1.注重法律文化的“本土化”。我国在法律文化现代化建设进程中,在全球化浪潮的背景下,应着重利用我国本土的法律资源,尊重我国传统的法律文化、社会条件,保持其应有的中国特色社会主义法律文化。在结合我国国情的基础上,对外来的法律文化进行考察,择其适合我国法制建设的成分。从传统法律文化中出发,培育出具有中国特色的社会主义法律文化。

2.构建理性的法律文化。在全球化的背景下,我国法律文化最需要补充的就是理性的法律文化。只有使我国法律文化当中理性因素的不断增加,才能更符合全球化主导下我国的法律文化现代化的建设。我国法律文化现代化就是要增加其法律本身的公平、平等、权利主体等理性因素在法律文化中的影响力,这些理性因素能否在法律文化以及人们的法律意识中体现出来将直接关系到我国法律制度改革的进程。

3.正确对待外来法律文化。文化本身是不断更新,不断交流的,文化的精髓在于交流,法律文化更应该互相交流。因此在全球化的大趋势下,我们要参与到法律的“整合运动”当中。法律作为人类社会生活中的特定现象,其本身的基本法律理念在于相容。

友情链接